吉田敦彦の「世界の神話とサルタヒコ」。
イザナギが、雷たちを退散させた後、杖を投げつけて、「ここから先へは来れない」として、「これを岐神(フナトノカミ)と言う」(『日本書紀』神代第五段第九番目の一書)。また、イザナギは大きな岩で黄泉平坂を塞いだあと、イザナミに「ここから先へ来てはいけない」と言って投げた杖も「岐神(フナトノカミ)と言う」としている。
『古事記』では、黄泉国から帰ったイザナギが禊をする際、持ち物を次々に投げ捨てるが、最初になげたのが杖で、それは「衝立船戸神(フキタツフナトノカミ)」と言う。
そのフナトの神は、『日本書紀』では、大国主が国譲りの際、「これが私に代わって従う」と言って差し出されている。高天原の使者の神が葦原の中つ国を平定して回る、その道案内をしたとされている。
ところで、大国主は国譲りの際、広矛を献上する。これは国を平定していったときに杖(つ)いた広矛だったと言う。「わたしはこの矛で功をなしてきた。天孫も、この矛を使って国を治めれば、必ず無事に進むでしょう」と言って献上したと言われる。だから、「杖」と「矛」とは同じものではないか。
ですから、この矛は、明らかにイザナキとイザナミが高天原から下界に降りてくるに当たって、まず下界に降ろされることで二神のために先導者の役をしているわけです。それからまた、この矛でもって海をかき混ぜて、そこにオノゴロ島を作ったという行為は、しばしば性行為とアナロジカルではないかという解釈が、いろいろな人によってされてきているわけで、つまり、この矛は、巨大な陽根を表すいみも持っていたと考えられるわけです。そして、オホクニヌシが国作りに使った巨大な矛の広矛も、私は、実は同じ意味を持っていたのではないかと思います。
ここでぼくたちが付け加えられるのは、オノゴロ島を作った矛は、男性器だけではなく、女性器も表わしていたということだ。
吉田は、サヘの神の本体が「杖」としているが、蛇と太陽の子の零落した姿が、「神の使い」としてのサヘの神であり、それが「人間の使い」になったときに「杖」と化すのだと思う。