与論言葉で音韻の明瞭な差異を見せるのは、麦屋(インジャ)においては、「ヲゥ」が「フ」となることだ。
野口才蔵の「南島与論島の文化」(p.269)の助けを借りながら、その例を挙げてみる。
麦屋 他 日本語
フバ ヲゥバ 叔母
フイガ ヲゥイガ 男
フナグ ヲゥナグ 女
フナイ ヲゥナイ 男性から見た女の兄妹
ヒンジャ ヰンジャ 麦屋
ホークティ ヲークティ からかう
最後のニ例を加えれば、「ヲゥ」音が「フ」音がとなることは、W音がH音に変わると敷衍することができる。この差異は、音韻上の違いとしては与論のなかでは最も明瞭なものだ。
宮良当壮は、日本語や沖縄本島首里方言のワ行音は八重山ではバ行音になることが指摘している。
日本語 首里方言 八重山方言
wa(我) waŋ ba
woi(甥) wi: bu:
wobito(夫)>otto utu butu/budu
これは、吉本隆明の「表音転移論」(p.286『ハイ・イメージ論2』)を援用すれば、ワ行の濁音とハ行の濁音は等価だという事例に当たっている。
この媒介を経ると、麦屋の「フ」系言葉は、ワ行がハ行濁音に転移し、ついで清音化したものだと見なすことができる。
村山七郎は『琉球語の秘密』のなかで、「いったいw- と b- のうち、いずれが古いのか」(p.68)という問いを立て、「八重山方言(及び宮古方言)のワ行音b- はw- より古い形を示すのではないろうかと考えたくなる」が、「私はそうは考えない」としている。
日本語や沖縄本島方言以北のワ行音に対する宮古、八重山方言のバ行音は、アルタイ的本源状態を保つのではなく、派生的と見られるのである(w->b-)。(p.71)
村山の仮説は、日本・琉球語において、*b- は無声化して *p- と合流し、*v- は w- に発達。結果、*p-, w- の対立が生じたが、宮古、八重山方言では、*p-, w- の2対立を、*p-, b- の2対立に変化させた、と読める。
この考え方をなぞらえれば、与論麦屋方言は、宮古、八重山方言と同じように、*p-, w- の2対立を、*p-, b- の2対立に変化させ、かつ、*p-, h(f)- の2対立に変化させたということになる。
ここで、ぼくは麦屋の島人が、オーストロネシア語族の北上に伴って与論に定着した、与論の歴史のなかでは最古の歴史を持つ人々だと考えている。そうすると、村山とは逆に、w- と b- とでは、「b-」が古いと見なしたくなる。かつ、それはアルタイ的本源としてではなく、オーストロネシア語としてそうだと考えることになる。
伊波普猷の「P音考」風に書けば、
B→H(F)、B→W
ということになる。これはあり得ることだろうか。あるいは村山の仮説に添えば、W→B→H(F)という経路だ。
ぼくには、これ以上の知見を持たないから、ここでは備忘に留めておく。
麦屋方言が変化を受けているとすれば、大和朝廷勢力の南下や貝交易の折、北からの到来に対して、応じることができるのは、当時、既に定住していた与論人は麦屋人しかいないから、この交流の過程で変化があった可能性もある。
ただ、麦屋方言のみが、その他の地域のワ行音に対して、ハ行音を持つことは、種族の由来と異種族との接触の歴史の過程を、他と異にすることを伝える明瞭な証拠であることは確からしく思える。