刺青における「霊魂」は、次の3タイプで描かれている。
宮古島では、トーテムと霊魂の座である尺骨頭部は同型だった。
これをぼくたちは、「盥(タライ)」を起点にした「高膳(タカゼン)」への遷移として捉えてきた。「盥」の前に置けるのはシャコ貝である。
奄美、沖縄で典型的なのは、貝と蝶の対をなす尺骨頭部文様だ。
この場合、動物も図形も異なるので由来は明確だ。
いま、ぼくたちはこれに加えて徳之島をまた別の系列として取り上げよう。ここでは、「徳之島流刺青」とはちがう視点で、尺骨頭部のトーテムと霊魂の座はあくまで重視されたと仮説してみる。
この一見すると異なる図形は、左から右への遷移として理解することができる。
つまり、徳之島では「霊魂」は、ある意味では「トーテム」と同じものと捉えていたことになる。しかし、これが宮古島の場合と違うのは、宮古の場合、「霊魂」はもうひとつのトーテム、言い換えればもうひとつの「霊力」と捉えられていることだ。
これに対して徳之島の場合は、トーテムはいちど分解を受けて再編されている。だから、言うなら、「霊魂」とはトーテム(霊力)が再編されたものなのだ。
別の視点からえば、この「霊魂」図形は「蝶」に見える。言い換えれば貝は蝶になり、貝と蝶も別のものとしては考えられていないことになる。これはある意味では当然で、人間は「貝」から生まれ、死者になれば「蝶」に化身するという死生観に符合している。
さて、奄美、沖縄では「霊魂」は、マブイとして「霊魂」寄りに捉えられていくことになる。それを図形として見るにはどう解すればいいだろうか。
まず、「貝」トーテムから図形として何が抽出されるか、具体的な貝の想定から接近してみる。
この図解から分かるのは、点を含む円と四角形は、どちらも貝から抽出されることだ。
この成り立ちをみると、円と四角形、十字と三角形の関係は次のようになる。
十字は、円や四角形、言い換えれば、貝を分割する図形として現れる。そして、四角形を十字で分割した結果として三角形は現れることになる。
まず、だから、「十字」とはどちらかといえば、トーテムに由来し抽出されている。
これは、右手尺骨頭部に「十字」が滅多に現われない理由でもあると思う。
また、三角形は四角形(トーテム)を分割することで出現する。これは、初期の「霊魂」が、分解された「霊力」のように考えられたことを意味するのではないだろうか。それは、徳之島の霊魂の捉えられ方と符合する。
奄美、沖縄では、霊魂の数を増やすことが「霊力」を増すこととして捉えられている。そのことも、霊魂が、分割された霊力として捉えられたことを示唆するように思える。徳之島の霊魂図形は、奄美、沖縄における霊魂の捉えられ方を記憶したものなかもしれない。
宮古島 もうひとつの霊力
奄美・沖縄 分割された霊力
これが、それぞれの初期の「霊魂」観だということになる。