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Channel: 与論島クオリア
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旧石器的太陽神の来歴

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 もう一度、「対馬神道(中沢新一「アースダイバー」第67回)」に立ち返ってみる。

 天と地をつなぐ雷と蛇の要素があり、山にすむ森の女神がおり、女神は蛇=雷と交わって、動植物の命を孕む。「ムスビ」の原理が働いて、たくさんの命のミアレをもたらす。つまり、この最古層では、太陽の子供である「日子」とは。自然に生きる生命そのものを意味している。

 これをそのまま琉球弧になぞらえれば、天と地をつなぐ雷と蛇の要素があり、サンゴ礁にすむ貝の女神がおり、女神は蛇=雷と交わることなく、動植物の命を孕む。「ムスビ」の原理が働いて、たくさんの命のミアレをもたらす、ということになる。

 ここでサンゴ礁は女神なのは言うまでもないとして、奄美大島や国頭のように、山もあるところは、どういう認識になるだろう。狩猟者やシニグの儀礼を除く限り、山が女神だったのは間違いない。この山の女神も貝とみなしていいのだろうか。

 縄文期の「あの世」とおぼしき系列にティラ山があるが、この場合、太陽を生む貝だと見なせるのかもしれない。しかし、山は貝だけで覆えるものではない。その場合、山の女神の本体は蛇だということになる。

 しかし中沢の旧石器的世界観のなかにある太陽神は、蛇だとは考えられていない。熱源であり、「太陽と地上をつなぐ」山そのものを本体としているように見える。

 一方、ヨナタマ伝承をみると、礁池の精霊であるジュゴンに対して、呼びかける海の精霊は父であるより、母神に思わせる。この伝承がどこまで遡れるのか分からないが、仮に縄文期に焦点すると、海は蛇として女性、サンゴ礁は貝として女性という、なんだか複雑なことになる。ただ、イラブチャーやグーザは男性動物なので、蛇-海はやはり男性なのだ。

 サンゴ礁が出現する前は、イノシシ猟メインだから、そこでの山の女神は琉球弧でも生きていたと思える。すると、山の女神に対してサンゴ礁の女神が出現したことになる。ここでも山の女神の本体を蛇と考えれば、貝は蛇のお株を奪ったことになるだろうか。ホトを焼かれて死ぬイザナミのように。

 cf.「太陽神の重層構造」


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