ユニ(砂)は、本土では意味が変わって「米」になる。そして、琉球弧にも流入する。この崎山理の説が魅力的なのは、サンゴ礁のクリーム色の砂と米粒は、言われてみれば似ているからだ。本土でしばしば見かける黒い砂よりも、米粒のほうが似ている。そちらのほうが「ユニ」と呼ぶにふさわしいと思える。
だが、ここには陥穽があって、そう言うためには、琉球弧を北上した人が、新しく始まった稲作を前にした時、サンゴ礁の砂の記憶が無くてはならない。一世代のなかでそれが起きなくてはならないことになる。
たとえば、サンゴ礁の海の記憶が無くなっても、「米」を「ヨネ」と名づけるためには、別の意味、「砂」を包含する概念が無くてはならないことになる。
そう考えてもっともふさわしいのは、「ユニ」が「胞衣をかぶった子供」あるいは「胞衣」という概念を持っていると見なすことだ。
そしてその通り、新潟の恵奈山は呼名を米山と呼んだという伝えがあり、その痕跡を認められる。そして、琉球弧の胞衣である「イヤ」も「ユニ」からの音韻変化と見なせる。「ユニ」はもともと物質のみを指す言葉ではなく、かつ人間のそれを指すのではなく、「母なる大地」とでも言うような概念を持っていた。「母なる自然(大地・サンゴ礁)」を表す言葉だったからこそ、「米」にも「火山灰」の意味にも変態することができた。
地母神と呼ばれるものは、農耕の神とは限らなかった。少なくとも琉球弧においてそれは、貝の精霊の胞衣を指していた。