「サンゴ礁の夢の時間」でもっとも根本的な認識は、下図で表せる。
この「貝」はサンゴ礁のことだ。サンゴ礁を比喩的に「貝」と見なしたのではない。それは文字通り、島人の捉えた巨大な「貝」なのだ。そしてサンゴ礁としての「貝」が内側に抱えるイノー(礁池)は、「胞衣」だった。
しかもその「胞衣」は、いまのぼくたちが思う羊水や胎盤のこと、そのままではない。無から有がメタモルフォースを繰り返して現出する不思議な「胞衣空間」とでも言うべきものだ。この「胞衣空間」では、無から有のベクトルではなくて、元の精霊へ戻るベクトルも存在している。
しかも、言語から見る限り、「胞衣空間(yuna)」は、「貝(gira)」のメタモルフォース形なのだ。
「貝は胞衣」、こういうとぼくたちには、メタファーに見える。しかも、ぼくたちの眼には「サンゴ礁は貝」と言ってるように見えるから、これもメタファーに見える。「サンゴ礁は貝」、「礁池は胞衣」、そしてそのうえに島人の認識を重ねれば、「貝は胞衣」なのである。
だから、島人の認識は、ぼくたちには二重のメタファーとなって響いてくる。
とても不思議だ。
これは、なんというか、現在に生かせる世界のつなぎ方に示唆を与えていないだろうか。ぼくたちがここで受ける感銘に似た心の動きは何ごとかを語っているのではないだろうか。