上原孝三はシヌグ祭について考察している。
シヌグにしてもウンジャミにしても、「山から海へのルートを辿る」ことになる。その際、安田では山の神に扮するのは男性であり、比地のウンジャミでは、山の神に扮するのは女性である。
上原は書いている。
シヌグ・ウンジャミの両祭において山の神が現れた。シヌグでは男が、ウンジャミでは女が主に山の神となった。山の神は女性に特定されないことが沖縄の「山の神」の特徴といるのではないか。
シンプルだが、強い喚起を受ける。
ぼくは、シヌグもウンジャミもサンゴ礁の潮の精霊の祭りだと考えている。それはスクとウンジャミという魚として出現していた。そして、サンゴ礁と同じ意味は、身近な山も担っていた。陸地ではそれは大地の精霊として出現することになるからだ。
サンゴ礁は女性であるから、山も基本的には女性だと考える。どちらも、サンゴ礁に、山に生命を放つ存在である、
サンゴ礁 女性性
山 女性性
次に、スクも性を予想することができる。それは、小型のものから、ウンジャミ、スク、キラハニと呼ばれた。
ウンジャミ 男性性(蛇の精霊の化身として)
スク 女性性(サンゴ礁の子として)
キラハニ 女性性(貝の精霊の化身として)
男性祭儀であるシヌグの場合、山での性的な儀礼を含むので、明らかに山は女性性として捉えられている。
シヌグには、スクが対応する。すると、男性が女性性の強い神と化して出現することになる。そしてウンジャミの場合には、女性が男性性の強い神として出現することになる。
これは矛盾ではないのか。と、こういうところに上原の言葉は飛び込んでくるわけだ。
ここで海や山の性の変遷とそれによる祭儀の変遷という歴史の推移を背景に置く必要はある。ここでは、その要素は除くとして、除くとしても言えるのは、上記の自然や動物はすべて固定的な性別を持っておらず、どちらあの要素が強いにしても、グラデーションのなかにあるということだ。
仮に性の転換を想定するとしたら、もともとは男性がウンジャミを担い、女性がシヌグを担っていたのかもしれない。もともと両祭儀は、混然としたものだたから、そういう転換も起こしやすかったのかもしれない。