巨大なテーマなのだから、もとより試論の域を出ない。ただ、琉球弧の精神史から見えてくるものを備忘しておく。
親子婚の禁止に、もっとも大きく関わっているのは、「死の発見」ではないだろうか。民族誌をひも解くと、異物の侵入、悪霊の憑依、霊魂の離脱として死は語られ、滅多に病名が登場しない。死は見出された当初、納得のいくものではなく、人間はもともと死なないものであるにも関わらず、外的な要因で死に至らされていると考えらた。死の受容には、相当な時間がかけられている。
また、死の起源を語る神話では、うっかりして、美しいものに惹かれて、とおよそ人間らしさと死の起源は近接している。死の発見が、親子婚の禁止をもたらしたのを示唆するものもある。(参照:「親子婚の禁止と死」)
人間は死ぬものだという認識を受け入れる。そこで人間は世代の概念を手にする。その世代の概念を手がかりにまず、親子婚は禁止される。たとえば、親子婚の場合、片親がはやくに死ぬということを避けるということがそこには含まれているのではなだろうか。
人間は〈対〉幻想に固有な時間性を自覚するようになって、はじめて〈世代〉という概念を手に入れた。〈親〉と〈子〉の相姦がタブー化されたのはそれからである。(吉本隆明「対幻想論」)
ここでぼくたちは、「〈対〉幻想に固有な時間性」を、「死」と解することになる。
親子婚の禁止に比べて、兄妹婚の禁止は直接的な契機が見い出しにくい。何が隠されているのか、分からない。ただ、こちらの場合は、契機よりも禁止のショックの方がよく伝えられている。それが、琉球弧の「をなり神」信仰だと思う。兄弟が姉妹を「をなり神」として崇拝あるいは思慕する信仰の根強さには、兄妹婚の禁止のショックが横たわっている。
この場合、男性のみにそれが残っているのではない。女性は、対の対象を神という共同幻想に託しているだけで、本質的には変わらない。
琉球弧でみた場合、それは女神のなかの女神として女性シャーマンが疎外された「貝」時代のあと、兄妹婚は禁止され、「蟹」をトーテムとする母系社会に入ったと考えられる。すでに「あの世」は発生しており、霊はあの世とこの世を往還するという思考も根づいている。一方で、「蝶」は「ジュゴン」から離脱し、一方向に進む時間認識も進展している。それということは、空間に対する認識も深まりつつあるということだ。この段階では、空間はまだ明瞭な三次元を構成していないと考えられるが、それでも空間に広がりは生まれている。
あるいはそれは当時、盛んになった大和との「貝交易」の影響を認めることができるのかもしれない。こうした外的なインパクトがなければ、蟹トーテムの段階には入っていなかたのかもしれない。内在的には空間認識の拡大があり、外的には「貝交易」が始まったことで、島人の集落間の交流は盛んになり、それに促されるように兄妹婚は禁止される。
それが内在的な理由が充分ではなかったことが、その後も兄妹婚をしずかに継続させた背景になる。兄妹婚禁止は、直接的な契機は「死の発見」ほど強度のあるものが見つからず、しかし「をなり神」信仰という禁止のショックが語られるのはそのためである。と、仮に考えておく。