死は火による料理と結びつく場合がある。
南米原住民のあいだでは、人間の生命を短くする事件は、人間が太古に火を手に入れ、食物を料理して食べることができるようになった過程で起きたとされる。あるいは、腐木の呼び声に応え、または腐木のある世界に移住したことであったとも語られる。
アメリカ原住民のあいだでは、生木を燃やすのはタブーであり、枯木と腐木だけが、許された燃料だった。生木を燃やすのは、植物界に対して食人いを行うのに等しい行為だった。
ところが原始的焼き畑では、彼らの持っている石斧だけでは樹木を切り倒すのは困難だった。そのために、彼らは何日にもわたって幹のまわりで火を燃やし続け、焼いて柔らかくしておいてから斧で伐るという方法を用いる。
強い印象を残すのは、焼き畑のはじめに当たり、生木を燃やすことが、食人に相当するとされていることだ。しかし、食人の淵源に遡れば、そこではそれは直接的な霊力の転移であり、生命の永続の形だった。つまり、そこに「死」はない。
食人をタブーとすること自体が死の受容と関わっていることが、ここから示唆される。それは、動物とのあいだの食物連鎖と異なり、人間と植物とのあいだでは、関係が一方的で食物連鎖の環が弱くなるからではないだろうか。
アメリカ原住民のこの考え方のなかでは、死は完全には受容されておらず、「短命」として捉えられている。寿命という考え方はない。原始的農耕の段階では、植物との関係から死は想起されている。そのとき死は「短命」と解される。自然界に働きかけることが短命を余儀なくしている。人間が自然のなかから姿を現し、自然に対して優位性を発揮しはじめるということは、自然の死を一方的に行うことで、その反作用して死が受容される過程でもあった。