セラピストである著者と患者とのやりとりから、セラピストの働きかけの部分を抜き書きしてみる。
「こういう現象がある人は、とても大きく心が傷つけられる出来事にあってしまった人であることが多いの。あなたの場合はどうなの?」
「なにか耐えられないことがあったんでしょう。ゆっくりでいいから言葉にしてください。」
「あなたが悪かったんじゃないのよ。(中略)毒になるようないらないトラウマは外に出して処理しましょう。癒しは、まず心の傷を認めて、それを表現していくことからはじまるよ」
「いままで本当につらい子供時代だったわね。誰にも言えなかったことを今日はじめて話すのは勇気がいったでしょう。しばらくの間つらいけど、話しつづけることが大切なのよ。たぶん、話し出したら涙が止まらず、底がないような気がして不安になるかもしれないけど、全部吐き出してしまいましょうね。必ず終わりが見えてくるようになりますから、心配せずいまはただ自分の話を語りましょう。あなたは癒しの第一歩を踏み出したのよ。」
と、こういうやりとりだ。なんとなくではあるが、セラピストの介入が強い印象を受ける。こう、積極的に割り込むのはよい方法なのだろうか。それはより患者を傷つけることにならないのだろうか。専門家に半畳を入れないとしたら、このケースのように、傷つけられたことが何か分かるけど言えない(性的虐待)場合と、傷つけられたことが何か分からない場合では、当然アプローチはちがってくるはずだ。
ただそれでも、「ゆっくりでいいから言葉にしてください。」は、ぼくなら、「話してもいいと思えたら、そうしてください。」と言うところだと思う。著者は日本人だが、治療はアメリカで現地の人を対象に行っているから、その差なのかもしれない。差というのは、個人の明確さの違いという意味で。
97年初版で、2017年で21刷。とても売れている本だ。