境界が混乱していると、「自分の境界が侵されていることに気づかないだけでなく、他人の境界を侵していることにも気づきにくい」。すると、「誰かに支配されたり、誰かを支配しようとする不健康な関係にはまりやすい」。
しかし、日本社会はもともと、「境界があいまいな社会」。
「よき妻」「優秀な従業員」というのは、境界なしにがんばる人のことをさしています。「思いやりがある」「やさしい」というのも、しばしば感情の境界がない人をさします。
と、ここまで言われると、境界がないのは、必ずしもネガティブなことだとは言えなくなってくる。他人の思いをわがことのように考えることができるというのは美質でもある。境界と共感。
境界が侵されているシグナルには、「自分の感情」と「関係がフェアなものかどうか」が挙げられている。「感情のシグナル」では、「満たされなかった思いを誰か一人の人で満たそうとして、相手の境界を考えることなく甘えすぎたり、不可能な要求を突きつけたりする場合」がある。また、傷つくのをおそれて「壁」を築き、そのなかにこもるのも同様。
これなど、まさにぼくがそうだったということになるだろうか。いまも適切な境界は引けていないのかもしれない。あるいは、その場で想定されている境界に合わせるのにひどく疲れる。壁と浸透。