井之川(イノカワ)は、島の呼び名は「イノー」。つまり礁池由来の名だ。集落の性格は「井之川根性(イノークンジョウ)」。
井之川は、「シギョロジマ」とも呼ばれる。「寒村、つまり、北向きに立地しているために北風を直接受けるために北風を受ける構造になっている」。
三本の川尻には、井之川湊が開けている。湊の両側には広大な干瀬。
集落は、サド(佐渡)、イホ(伊宝)、ホウシマ(宝島)。
アガレグシクの付け根には洞穴。トゥール墓。(以上は、松山光秀の『徳之島の民俗文化』)
井之川の夏目踊りは、「浜下りでヤドリに祖霊を迎えて共食し、祖霊とともに家々を祝福して廻る」。
浜-家-城という構図は、祖霊の移動と祖霊の祝福という夏目踊りの役割をよく示している。(板谷徹、酒井雅子「井之川の夏目踊り」「民俗芸能」1989)
ここだけ見ると、祖霊は海からあがり城へ向かうようにみえるが、そうではない。徳和瀬をみると、むしろ山を本体としている。
浜下りで家を出る際、新米のご飯を供えるが、それは「先祖様がハマオリ浜に下りていくついでに家にも寄るので、先祖様に上がってもらうため」だとされている。
生後初めて浜下りに参加する子に対する儀礼は複雑だ。
・ニンニクの種を三個通し、首にはかせる(魔除け)。
・潮水を額につけるシュウカイ(祓い)
・潮つき場の砂浜の上に足をつけて踏ませるミーバマ踏マシ。
これがヤドリに行く前に行うことだが、「ミーバマ踏マシ」だけが意味を書かれていない。もともと「シュウカイ」も「祓い」の意味はなく、むしろ「ミーバマ踏マシ」とともに、浜から生まれたことをなぞる儀礼だったと考えられる。ニンニクの種を三個通すのが、浜のそばにある洞穴墓が「穢れた」意味に反転してのちに付け加えられたものだ。
この浜の意味からすると、祖霊は城から下り、浜へ行き、ふたたび城へ帰るという経路をたどっていることになる。