金久正は、「イャンヤ」という語は、大島南部でよく用いられると書いている。金久によれば、「イャンヤ」は「岩屋」のなまり。
古仁屋の西、手安と須手の間の山間に「イャンヤ」と称する岩窟がある。人骨が納められている。伝承では敵に殺された遺骸。
宇検湾の入口の無人の小島。「伊里離れ」に、「イャンヤ」という小型の岩窟がいくつもあり、人骨が納められている。
北の戸口に近い離れにもこんな洞窟があり、「人骨がカメに納められてあるらしい」。
徳之島平土野近くの海岸、絶壁の上に「インノジョウノフタ」(岩屋戸と金久は書いている)という岩洞があり、人骨が納められている。
これらは、奄美大島土濱のイヤンヤ遺跡と位相同型だと思える。
また同時にこれは、柳田國男の挙げた「イヤ山イヤ谷」とも同型だと考えられる(cf.「麦つき唄から」(柳田國男『故郷七十年』))
そうだとすれば、「イャンヤ」に当てるべきは、「岩屋」ではなく、「胞衣屋」だと思える。