「ハマオリ儀礼の基本構造と夏目踊り」(松山光秀) 2
もうひとつ、松山光秀は重要なことを書いている。シュクの寄りと水稲の収穫の時期が一致することから、「シュクの折目も麦作の折目もすべて水稲文化に席巻され、同化されたのである」。そのことが、二回目のシュクの寄りの呼称アキヌックヮや、ハマオリ儀礼の祭場に同居する形でユームチゴモイ(水稲文化)とフーゴモイ(採集文化)が隣接して存在すること等で説明づけられると思う。 この洞察は、松山光秀の達成だと思う。...
View Article『驚くべき乳幼児の心の世界』(ヴァスデヴィ・レディ)
分かったような分からないような感じなのだが、「二人称的アプローチ」には心惹かれるものがある。 「二人称的アプローチ」の核となる仮説の三つの特徴。 1.二分法的仮説としての「ギャップ」を否定する。他者の心は不透明で知覚できないから、推察、モデル化して憶測するしかないという考え方を。...
View Article「自伝的記憶と心理療法 記憶に触れることの困難と意義」
富樫公一司会の「公開シンポジウム報告」がとても面白かった(「心の危機と臨床の知」2014)。トラウマに触れることをめぐっての議論だと言っていい。 森茂起「トラウマの記憶に触れることの治療的意義」。 生まれてから現在までの人生を時間にそって語ってもらい、その自伝を文章として仕上げる。文章化は治療者が行っている。...
View Article「現実の臨床的意味」(富樫公一『不確かさの精神分析』)
詳述する暇がないのだが、治療者と患者とのやりとりが興味深い。 患者:しばしば「先生は私を嫌っている」と主張。数回のセッションの終わりに「溜息をついた」、と。 治療者:「ため息なんかついたかな?」 治療者:「私があなたを嫌っているというように見えるのは、あなたの中で私がどんな存在になっているということなのでしょう」。 患者:「先生は私の認識がおかしいというのですか」...
View Article「私の中にあなたを見つけて欲しい」(富樫公一『蒼古的自己愛空想からの脱錯覚プロセス』)
富樫公一は、双子自己対象体験には、「自分たちが似ているとい感じたい」というニードとは別に、「私の中にあなたを見つけて欲しい」というニードがあると主張している。 双子対象体験のこの次元は、子どもが「人間の中に存在する人間」だと感じることができるおゆになるための、自己対象環境の中核的要素なのである。言い換えれば、この環境は個人が自分を人であると感じるための最も基本的な要素である。...
View Articleユウナ慕情
夕方になると赤く染まって散り、波にさらわれて熱帯魚になって泳ぎ出す。そのユウナの花の変化。 二枚目は与論島寺崎で、それ以外は加計呂麻島阿多地。たしかに夕刻になると赤く染まっているけれど、染まってなお残り続けているものもある。 化身する熱帯魚は、キンギョハナダイだと思う。
View Article「「意地」の自己心理学的考察:蒼古的自己愛空想への執着と諦め」(富樫公一『蒼古的自己愛空想からの脱錯覚プロセス』)
コフートは伝統的精神分析と自己心理学を区別するのに、「罪悪の人」と「悲劇の人」という言い方をした。 悲劇の人とは、私たちが他人の鏡映なしに自己の安定感を獲得することはできず、恋に落ちても相手が応えなければ何も進まない世界に生きていると考え、私たちが他者とのつながりの中でしか、自分を一つのまとまりを持った存在(全体的存在)として体験できないことを、この言葉で表現したのである。...
View Article「徳之島井之川のハマウリと夏目踊り」(下野敏見)
下野敏見が、徳之島井之川のハマウリと夏目踊りについて行っている考察を見てみる。見聞が1969年のものだ。 ハマウリは夏目踊りとセットで語られるが、踊りはしないというシマも見られる。母間と下久志。 三日目のハマギノで、用意された下野の「一重一瓶」には、ヒザラ貝が入っている。 ハマギノの自分の一重一瓶には、大きな二寸ぐらいのグジマ(ヒザラ貝)が入っており、固い貝でしたが、大へんおいしいでしした。...
View Article「イャンヤ」(金久正『奄美に生きる日本古代文化』)
金久正は、「イャンヤ」という語は、大島南部でよく用いられると書いている。金久によれば、「イャンヤ」は「岩屋」のなまり。 古仁屋の西、手安と須手の間の山間に「イャンヤ」と称する岩窟がある。人骨が納められている。伝承では敵に殺された遺骸。 宇検湾の入口の無人の小島。「伊里離れ」に、「イャンヤ」という小型の岩窟がいくつもあり、人骨が納められている。...
View Article「南西諸島における神観念・世界観の再考察」(クライナー)
ヨーゼフ・クライナーの「南西諸島における神観念・世界観の再考察-奄美の祝女信仰を中心に」(「沖縄文化研究10」)から、再度、聖地をたどってみる。 祭祀行事が集中するのは、神山とミャーだが、「聖地」にこだわれば、 1.ウボツ(オボツヤマ)ないしウガン(オガンヤマ) 2.イヤンヤ 3.イベ(イビガナシ) の3つに分けられる。...
View Article『太陽の花』(横塚眞己人)
見たかったのは、オレンジ色になり、海に散ったユウナ(オオハマボウ)の花だ。この先、花びらは熱帯魚に化身する。 その神話空間を描いてみたいのが、この先やりたいことのひとつになる。 この花が「世の始まり」からあったと言われるのは、サンゴ礁=貝と同位相のものとして、人間に先立つものの系譜にあったからだと思える。 『太陽の花』
View Article「山に登るオオハマボウ--海洋島の植生変化と人間居住」(近森正)
近森正は、「熱帯の風景のなかで、最も親しみ深い花はオオハマボウのそれではないだろうか」と書いている(「山に登るオオハマボウ--海洋島の植生変化と人間居住」(「史學(三田史学会)」2003.6)。潮風に吹かれながら、朝には黄色の花弁をつけ、日中は赤色、夕方になるとオレンジ色からサーモンピンクに変わり、夜には落花してサンゴの砂浜に花綵を描く。 「その叢林は海岸の典型的な植生景観である」。...
View Article「C.ギアツの解釈人類学と沖縄・奄美-とを読み解くために-」(稲村務)
稲村務は、琉球弧の墓制について書いている(「C.ギアツの解釈人類学と沖縄・奄美-<中心>と<周縁>を読み解くために-」(稲村務「人間科学」2009.3))。奄美諸島から沖縄諸島までは、檀家制度がなく、過去帳などの記録制度のなかった地域であり、祖先は琉球王府を中心とする「系持ち」と呼ばれた士族層にのみ記録されている。大半の農民層にはそうした記録はなかった。...
View Article「琉球列島における縄文時代後晩期の貝製品と製作技術」(山野ケン陽次郎)
いつも専門用語に追いつけない分、理解が届かなくなるので、貝製品の名称からイメージが浮かぶようにしたい。1.貝製腕輪・腕が通る程度に孔を設け、環状に整形したもの。 これは見慣れていて分かりやすい。先島諸島には出土例がない。2.貝製小玉・巻貝を小形円盤状、円柱状に整形したもの。 「紐で連結して身体を飾った装飾品と考えられる」。3.貝製管玉・ツノガイ類の頂孔部分を研磨し、管状の装飾品としたもの。...
View Article『プロカウンセラーの共感の技術』(杉原保史)1
杉原保史は書いている。誰かに頼りたい欲求を自然なこととして受け入れれば、依存の欲求を真剣に考える道が拓かれる。必要なときに援助を求める行動をとることができれば、頼りたい気持ちは確実に和らぐ。依存の欲求が現実的に満たされるからだ。満たそうと思えばいつでも満たせることが分かれば、欲求は和らぐ。...
View Article「貝塚時代前4期沖縄諸島の土器様相」(亀島慎吾)
まったくと言っていいほど、用語とイメージが結びつかないひとつが土器なので、亀島慎吾の論考(「貝塚時代前4期沖縄諸島の土器様相」「鹿児島考古」2017.7)を頼りに、画像と対応させてみる。...
View Article「琉球列島における貝殻施土器の研究」(横尾昌樹)
「室川下層式」)は、出土遺跡も多く、種子島まで北上した「土器形式」だ(横尾昌樹「琉球列島における貝殻施土器の研究」「鹿児島考古」2017.7)。 横尾は室川下層式の施文には、カワラガイが用いられたのを確めている。カワラガイは、殻表面の横方面に「赤色の微隆起が走る」のが特徴だ。...
View Article「情動の文化理論にむけて-「感情」のコミュニケーションデザイン入門」(池田光穂)
情動のコミュニケーションは、「どうやら身体を介したコミュニケーションと深い関連性を持つ」。「情動は身体経験と切ってもきれない関係にある」(池田光穂「情動の文化理論にむけて-「感情」のコミュニケーションデザイン入門」(大阪大学コミュニケーションデザイン・センター,2013.3)。...
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