富樫公一は、双子自己対象体験には、「自分たちが似ているとい感じたい」というニードとは別に、「私の中にあなたを見つけて欲しい」というニードがあると主張している。
双子対象体験のこの次元は、子どもが「人間の中に存在する人間」だと感じることができるおゆになるための、自己対象環境の中核的要素なのである。言い換えれば、この環境は個人が自分を人であると感じるための最も基本的な要素である。
この体験は、「異質性と同質性の相互認識」のプロセスでもある。
富樫はまた、「個人が蒼古的自己愛空想から離脱し、自己対象空想を展開させるプロセス」である「脱錯覚」は、
「一蓮托生」の間主観的空想に含まれる異質性と同質性の相互認識が、二者関係の感情調制プロセスを進め、その結果、自己対象空想が発展すると理解することができる。
富樫は「一蓮托生」について、近松の「曽根崎心中」を引きながら、徳兵衛とお初の場合、「同質性と異質性の相互認識ではなく、異質性の否認による同質性の強調」が自滅を招いたと述べている。「一蓮托生」が建設的にならない場合のケースを述べるために。