富樫公一司会の「公開シンポジウム報告」がとても面白かった(「心の危機と臨床の知」2014)。トラウマに触れることをめぐっての議論だと言っていい。
森茂起「トラウマの記憶に触れることの治療的意義」。
生まれてから現在までの人生を時間にそって語ってもらい、その自伝を文章として仕上げる。文章化は治療者が行っている。
トラウマ性記憶に意図的に徹底的に直面して記憶を活性化すると、不安は上昇する。しかし時間の経過とともにそれは低下する。気持ちが落ち着くところまで語りきれた体験をすると、触れても大丈夫な経験になる。
メールや手紙でやりとりしながら自伝を書く方法もある。
北川恵「アタッチメント臨床における記憶の扱い」。
本能。誰かとともにいる、誰かとくっついてそばにいるというアタッチメント欲求。この視点を持って臨床に臨んでいる。
わかりながら、気持ちに寄り添うことを続けていると、防衛が緩むときがあって、おそらく非常につらい思いが蘇って、苦痛な思いを味わうことがあるかもしれません。そのときにこそ回避的な方略、「大したことない」という方向に向かないように、関係性の中で落ち着く体験を持ってほしい。
福井義一「記憶に触れることは援助的か : 身体志向心理療法の立場から」
トラウマ症状は、精神症状であるのはもちろんだが、相対的にみて身体症状だという合意ができつつある。言語化や物語化を重視しない。その理由は、
1.再外傷化のリスク。
2.想起困難性。
3.「自伝的記憶への再編入は自然なプロセスなので、治療段階の後期で勝手に起こる」。
どれも示唆的で、気づきを得ることができた。