再度、片桐千亜紀の「琉球列島における先史時代の崖葬墓」を見てみる。
今回の関心は一点のみで、宮古、八重山の先史時代の「崖葬墓」の存在だ。片桐によればそれはひとつだけ確認されていて、「白保竿根田原洞穴遺跡」とされている。ここは近年、旧石器時代の人骨も発掘されているから、それとは区別されなければならない。
資料では、3970BPとされ、下田原期に当たる。そして「再葬・集骨」とされている。
片桐は「崖葬墓」は、「前4期から後期後半」まで続くとされている。ということは、「白保竿根田原洞穴遺跡」は、それよりやや早い時期だということになる。
片桐は、「再葬・集骨」は「崖葬墓」の「基本になっている」としている。
ぼくたちは、この葬法は、死と再生にかかわっていると捉えてきた。この遺跡の「再葬・集骨」が確かだとすると、下田原期の後半には、石垣島の生死に関する思考は、北琉球と同期していることになる。