宮城嶋のシヌグ堂遺跡は、100mの台地上に立地している。ここからは伊計島を望むことができる(参照:「シヌグ堂遺跡」)。ここには二重の意味があるのではないだろうか。
前5期は、肥厚口縁系の土器になり、サンゴ礁=貝というトーテム理解になる。そこで、立地は干瀬や辺端が意識化され、台地上を選択する。もうひとつは、島人にとっての他界を望めることが重要だったのではないだろうか。
前5期の遺跡立地について、 岩井香寿美と河名俊男は述べている(「[論説] 沖縄島における過去数千年間の自然環境と考古遺跡の立地」「沖縄地理」2008)。
前Ⅴ期には,沖縄島の東海岸では多くの遺跡が琉球石灰岩の丘陵斜面から台地にかけて立地しており,全般的な傾向として前Ⅳ期の遺跡よりも海抜高度が高い場所に立地している。沖縄島の西海岸でも海岸付近の砂丘や低地での遺跡に加えて,500m ほど内陸で,海抜高度 15~20m の台地上に立地している遺跡や,緩やかな台地上で海抜高度 70m の場所に立地している遺跡などがある。
これは、「沖縄貝塚時代中期のミステリー」の ひとつともいわれる。
岩井と河名がここで注目しているのは、前5期の遺跡の欠如だ。
津堅島では,津堅島キガ浜貝塚が島の東海岸に面した海抜約 5m の海岸砂丘上に立地しており,前Ⅳ期と貝塚時代後期の複合遺跡である(前Ⅴ期が欠如している)。勝連半島の平敷屋トウバル遺跡は、海抜 10m 以下の海岸付近に立地し,前Ⅳ期と後期の遺跡で前Ⅴ期が欠如した複合遺跡である。
以上の特徴(海岸付近における前Ⅴ期の遺跡の欠如)は,暦年代で 3400 年前頃,沖縄島の東南方からの大波(おそらく津波)の襲来と関係している可能性がある。
(1)沖縄島東海岸の伊波丘陵における前Ⅴ期以降の遺跡の欠如
(2)西海岸の本部半島北海岸における具志堅貝塚での前Ⅴ期の遺跡の欠如
(3)西海岸中部の北谷町伊礼原遺跡における縄文時代後期の暴浪または津波による浸食面の形成に関与している可能性が示唆される.
「沖縄島の東海岸一帯に,約 3400 年前頃,大波(おそらく津波)が襲来した可能性がある」という自然地理学からの推察は,沖縄島の考古遺跡,とりわけ沖縄貝塚時代中期(前Ⅴ期)の遺跡の立地を考察する上で,今後,検討すべき推察事項と考えられる。
津波は世替わりの契機のひとつではありえる。サンゴ礁=貝の認識の契機にもなったかもしれない。しかし、肥厚口縁系へと変わるのは、奄美、沖縄全体で起きていることだ。「海岸付近における前Ⅴ期の遺跡の欠如」は、つまり、「貝」のなかでも「サンゴ礁=貝」というトーテム理解を得た島人が、台地へ移住したということではないだろうか。