日本国ではチベットのダライ・ラマのように男性の宗教王(大祝)であるばあいもネパールのクマリとおなじ女性の宗教王(卑弥呼や聞得大君)のばあいもあった。たとえば神話の神武にたいする長兄五瀬命の役割や、大三島の諏訪の大祝のようなものは男性の宗教王(生き神様)であり、初期天皇制はこの男性の宗教王(生き神様)がいる王制(天皇は弟)でありながら、女性の宗教王(生き神様)的な伝習をもった近畿に王家を定めたようにうけとることもできる。これはかならずしも確定的にいうことができないが、日本国の宗教王の在り方は、この二種類のいずれの形も存在していたことは、確言できるとおもえる(p.166 『アフリカ的段階について―史観の拡張』)
これはアフリカ的段階の王権の在り方を語っている。琉球弧の場合は、「女性の宗教王(生き神様)的な伝習」であり、それが長く続いた。
これが島嶼しかない環境下ではどうなるか。どこかから王権が出現しなければ、広がりも持てず、したがって凝集もされない。段階を推し進める力はいつも堰き止められ、外からは時間の停滞にしか見えない反復の永続を許容した条件になっただろう。けれどそれは精神の貧困を意味するのではない。