『ぼくの沖縄〈復帰後〉史』
コンサートか集会の会場の、時には舞台近くで、時には舞台が小さくしか見えない遠くの席で、また時には会場の外で流れてくる音響だけが頼りにして、その場に居合わせているような昂揚を覚えながら、新城和博の『ぼくの沖縄〈復帰後〉史』を読んだ。...
View Article与論史4 那覇世(なはんゆ)
「按司世」と「那覇世」に明確な区切りをつけるのは難しいことです。それは、「中山世鑑」の言う1266年の大島入貢の記述を、服属と見なしてよいかどうかは当てにならないという意味ではありません。確かにそれが服属を示すとは限らないという側面はありますが、そこに与論も含まれているかどうかも定かではありません。それに、ことによれば1266年より前に与論は琉球王朝の領地として認識された可能性もあります。...
View Article与論史5 大和那覇世
薩摩による1609年の琉球侵攻を与論はどのように知ったでしょうか。まず、沖永良部島の狼煙が上がっていれば、それで知ったかもしれません。直接的には、三月25日の日中、百艘とも言われる軍船が茶花沖を進むのが見えたでしょう。そして27日、燃えがある今帰仁の炎や煙は与論からも確認できたに違いありません。与論にとってはこの時の恐怖が琉球侵攻体験でした。...
View Article与論史7 アメリカ世
敗戦後の米軍統治を、与論はどう受け止めたのか。郷土史家の野口才蔵の記述を追ってみます。それは、奄美の民族にとっては、有史以来味わったことのない、鉄鎚の下るような宣言であった。そうした当時を体験した郡民には、今なお暗い過去の思い出として、年輪の中に深く刻まれていることだろう。祖国・母国日本から生木を裂くように引き離される身の哀れさ、心の痛さをしみじみ味わった。(『与論町誌』)...
View Article与論史8 大和世
さいはて期(1953年~1971年) 復帰後、与論は「沖縄の日本復帰運動」と「観光」で本土の注目を浴びることになりますが、どちらも、与論が国内のさいはての地ということが意味を持っていました。 島のなかでは、現在、奄振で通称される「奄美群島復興特別措置法」により1954年から復興が開始されます。...
View Article『Seaside Garden Note vol.01 (Yoron Island)』
うっとりすること請け合いの写真集だ。 珊瑚礁の海のグラデーション、水の透明感、朝陽の神々しい輝き、夕陽に照らされる雲の怪しさ、田中一村顔負けのアダンの黒の陰影、月夜が生み出すもうひとつの世界、汀の砂の柔らかさ。どれを採っても、飽きるほど観ているはずの与論風景のひとつのはずなのに、いままでみたことがない島の表情に惹きこまれうっとりしてしまう。 まるで、マブイ(魂)抜けするみたいに。...
View Article『アフリカ的段階について』Ⅰ
吉本隆明の『アフリカ的段階について―史観の拡張』から、備忘のメモをしておく。アフリカ的(プレ・アジア的) 住民は全自然(動物、植物、無機物)の意識がじぶんの意識とよく区別されないため、倫理の意識をもたずに自然にまみれて生存している。いいかえると自然物はみな擬人としての神であるし、自己意識はどんな自然物にもあるし、また移入できるとみなされる。自然にたいしてヒトは魔術をかけることができる(p.24)。...
View Article『アフリカ的段階について』Ⅱ-1
心に留めておきたい個所を引用していく。 (前略)からだが死ぬときはね、からだの心もいっしょに死んでしまう。でもね、霊の心だけは生きつづけるの。そして人間は一度死んでも、またかならず生まれ変わるんだ。とろが生きている間、ヒッコリーの実みたいにちっぽけな霊の心しか持ってなかったらどうなると思う?...
View Article『アフリカ的段階について』Ⅱ-3
モルガンのいう野蛮の下層状態といのは、現在の視点からは、人類が無機的な自然や植物や生物や動物を内在的に了解している精神の段階だとかんがえるべきなのだ(p.72『アフリカ的段階について―史観の拡張』)。...
View Article『アフリカ的段階について』Ⅲ-2
「日本の神話の記述は、表面的にはすでにトーテム原理が失われた形しかないが、例外的な記述がないわけではない」。 たとえば、海神の女トヨタマヒメが子どもを生むとき「本つ国の形を以ちで生む」から見ないで欲しいというのに、のぞいて見てしまうと八尋鰐の姿に化身して出産しているのは、八尋鰐がトヨタマヒメの出自のトーテムを暗示している(p.80)。...
View Article『アフリカ的段階について』Ⅲ-4
地名について。 「名前とは人間から土地の地形にいたるまで、かれらのいう精霊の棲家であることを認めることを意味している」(p.87 『アフリカ的段階について―史観の拡張』) 「植物、動物、その他の生物の呼び名が地名になるとともに地形の名が地名になるということは、すべての原型的、アフリカ的な段階に共通している」(p94)...
View Article『琉球列島における死霊祭祀の構造』
繰り返しになるけれど、ぼくのモチーフは、琉球弧の精神史だ。そのテキストとして、1987年に酒井卯作が上梓した『琉球列島における死霊祭祀の構造』から学んでいきたい。 「はじめに」で、酒井は書いている。...
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