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Channel: 与論島クオリア
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珊瑚礁堆積物の形成深度

 「鹿児島県与論島の第四系サンゴ礁堆積物(琉球層群)」(小田原啓・井龍康文『地質学雑誌』1999年)の記述理解用メモ。サンゴ石灰岩(浅海相)・水深50m以浅。石灰藻球石灰岩、Cycloclypeus-Operculina石灰岩、砕屑性石灰岩(沖合相)・水深50m以深。...

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与論島層ユニット1

 宇勝層、麦屋層の次に堆積している層は、与論島層と呼ばれる。層厚は最大55mにもなり、与論島を覆う珊瑚礁堆積の主要部分をなす。与論島層は、ユニット1~3で構成される。...

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与論島層ユニット2

 与論島層のユニット2には、浅い場所の堆積物も確認されている。 ユニット2Cは、ユニット1Rの上に整合的に重なっているから、ユニット1Rの堆積後に、海水準は、標高65mから30m付近まで下降。そして、「宇勝・賀補呂・品覇・赤崎~前浜一帯のサンゴ石灰岩」が堆積する。...

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与論島層ユニット3

 ユニット2Cの堆積後に、海水準は55m降下して、標高35mに達する。「この低海水準期には島の低所にサンゴ礁が形成され、サンゴ石灰岩(ユニット3C)が堆積した。これらは古里および品覇などでみられる」(「鹿児島県与論島の第四系サンゴ礁堆積物(琉球層群)」(小田原啓・井龍康文『地質学雑誌』1999年))。 この後、再び海水準は上昇。100mまで達し、島は完全に海中に没したとみられる。...

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1956年の与論島珊瑚礁研究 Western Part.

 与論島の珊瑚礁形成について、1956年の調査記録を見つけた。昭和31年だから、とても早い時期から珊瑚礁島として与論は注目されたことになる。珊瑚礁が引き寄せたのは観光だけではなかったわけだ。 その研究、「与論島の現生珊瑚礁及び隆起珊瑚礁の生態学的研究」(平田国雄、1956年)は、国会図書館では英文しかないので、下手ながら訳出してみた。 まずは、島の西、茶花や供利について。...

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1956年の与論島珊瑚礁研究 North-eastern Part.

 那間、叶、古里の東北部分については、「与論島の現生珊瑚礁及び隆起珊瑚礁の生態学的研究」のなかで平田が最も力を入れ、成果として提出しているものだと思う。東北部分  この部分は、東南部分にある島の最高地点(94m)から、北と東にかけて、1、2度のゆるやかな勾配が途切れずに続いている。南から北へ伸びる断層線の個所は、この島の背骨に当たっている。...

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1956年の与論島珊瑚礁研究 South-eastern Part.

 続いて、城、朝戸の南東部分。南東部分...

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与論島堡礁のリーフ推移イメージ

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その昔の与論島珊瑚礁シミュレーション

 1976年に公表された「与論島の琉球石灰岩」(野田睦夫)では、城(グスク)付近のみ海面から出ていた時期の珊瑚礁がシミュレーションされていて興味深い。 野田は日本語で表記する労を惜しんでいるので、努めてみる。[back-reef shoals] 礁池から見て、リーフ(礁嶺)手前の浅瀬 [back-reef apron] 礁池内の堆積個所。イノーで泳いでいて立てる所に当たると思う。 [sand...

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茶花と古里の砂地

 「与論島の琉球石灰岩」(野田睦夫、1976年)の「琉球石灰岩層上部層堆積時の形態」をもう一度、見てみる。 このイメージ図と1999年の「鹿児島県与論島の第四系サンゴ礁堆積物(琉球層群)」(小田原啓・井龍康文『地質学雑誌』)の地質図を重ねてみると面白い。...

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供利層珊瑚礁のイメージ

 供利層は、チチ崎層とともに琉球層群のなかで最も新しい層と位置づけられている。現在ある珊瑚礁の少なくともひとつ前のものだと目される。 ハニブ、供利港、与論港にかけての、標高20m以下の一帯に分布しており、したがって海面も20m付近にあったものと想定されている。層厚は、露出部分からの判断では最大10m。また、供利層が形成されたのは、断層ができて後のこととされている。...

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断層の形成過程イメージ

 ここでは各ブロックの高度を固定して、北東ブロックおよび西ブロックを断層形成以前の標高に戻すことにする。このようにして見積もられた断層による変位は、西北西-東南東断層により北東ブロックが約10m、北北西-南南東断層により西ブロックが北部で約10m、同南部で約50m落ちたことになる。「鹿児島県与論島の第四系サンゴ礁堆積物(琉球層群)」(小田原啓・井龍康文『地質学雑誌』1999年)...

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断層形成以前の標高

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断層の形成過程のイメージ2

 『新編 日本の活断層―分布図と資料』(活断層研究会、1991年)は、与論には確実度Ⅰの活断層が二つあるとしている。朝戸断層・城面  S(20)・那間面 S(15) 辻宮断層・城面  E(50±)・那間面 E(10±) (p.401) これの意味するところを図示すれば、下図のようになると思われる。 これを見ると、小田原・井龍の、...

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断層形成以前の標高2

 こんどは昨日の図を元に、断層形成以前の標高算出のための補正値を求めてみる。 かなりおおざっぱだが、下記のようになる。 これを元にすると、茶花の礁湖は、やはりもともとつながっていて、島の形は凹みのない楕円形だったのではなかと思わせる。 ちなみに、下は与論周辺の海図だ。

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ウロー珊瑚礁の頃

 それで結局、何をしたかったかと言えば、その昔の与論の姿を描いてみたかった。 ウロ山脈が、リーフを形成していた頃。海水準は、80mくらい。断層は形成されていないから、80m以上地帯は、西と北にもっと伸びていたはずだ。ちょうどウロ山脈の縮小版のように。西方面は、不明なので珊瑚礁は途切れさせた。西が礁の途切れた島の想像。 グレーの線と点線は現在の地形と珊瑚礁。...

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「与論島の現生珊瑚礁及び隆起珊瑚礁の生態学的研究」のまとめ

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与論史1 珊瑚世(うるゆ)

 ふつうは「奄美世」から始めますが、珊瑚礁抜きには与論のことは語れないので、珊瑚礁が島に積もった時から今の珊瑚礁ができるまでをひとつの時代として捉えてみたいのです。その時代を、「珊瑚世(うるゆ)」と名づけます。...

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与論史2 奄美世(あまんゆ)

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与論史3 按司世(あじゆ)

 「按司世」の始まりは、グスク時代の始まりと同じ11世紀と見なします。この時代は、琉球弧の最初の大きな世替わりだったでしょう。それを象徴するのは人、神、米、鉄です。 まず、稲作の技術とともに琉球の開発祖神、アマミキヨが伝承され、与論にはアマミクという名で定着しました。...

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