ここでやってみたいのは、与論に6段の隆起珊瑚礁が形成されていると発表した1956年の平田と、琉球層の形成史を調査した1999年の小田原・井龍の、半世紀近くを間に挟んだ両研究を対照させて、リーフ(礁嶺)がどの段階で形成されていたかについて、肉迫することだ。
(「与論島の現生珊瑚礁及び隆起珊瑚礁の生態学的研究」(平田国雄、1956年)と「鹿児島県与論島の第四系サンゴ礁堆積物(琉球層群)」(小田原啓・井龍康文『地質学雑誌』1999年)から作表)
図が小さくて見えにくいので、まず、小田原・井龍のパートが以下。
続いて、形成順を示す1~7の段階と、6段の隆起珊瑚礁の位置との対応が以下。
まず、平田の段階(1956年)では、最初の珊瑚礁である宇勝層、麦屋層、そして最後の珊瑚礁であるチチ崎層、供利層は認識されていなので、除外して対照する。すると、6段の隆起珊瑚礁に2~6の珊瑚礁形成段階が1対1対応で都合よく対照されるわけではないことが分かる。
最も大きな理由は、海水準の上昇(海進)は短期間で起こるわけではなく、時間をかけるので、複数の堡礁が形成された可能性があるからだ。しかも、珊瑚礁形成に関与した海進は三回に及ぶので、該当する箇所はその都度、堆積が進むことになる。
2の段階の海水準65m以上の段階で可能性があるのは、Furusato、Uro とlower Gusuku、Hamigo だ。しかし、この段階では、浅海層(水深50以浅の堆積物)は確認されていないので、堡礁にはなっていなかった可能性もある。
3の段階と対応する可能性があるのは、Furusato、strandlineである。
3~4、海水準30m以上から90mに上昇する段階で可能性があるのは、Uro、upper Hamigo、Gusuku、Kompiraである。
5の段階に対応しているのは、Furusato、lower Hamigo。
5から6、海水準が35m以上から100mに再び上昇する段階では、Uro、Hamigo、Gusuku、Kompiraの可能性がある。
たとえば、ウロ山脈の琉球層群は、下から、ユニットが1R、2C、2R、3C,、3Rと続くので、3から4、そして5から6の間で、堡礁のリーフになった可能性がある。また、ハジピキパンタの厚い珊瑚礁も、3~4、5~6へ海水準上昇の過程で、ハジピキパンタ周辺が浅くなり浅海層として堆積されたものだということが分かる。5~6の期間はゆったりと、かつ長い時間をかけていることは、島の半分近い領域をカバーしていることからもうかがい知れる。
このプロセスを画像シミュレーションで再現したら、どんなに美しいことだろう。
※平田が、番号を振った段丘の個所は下記のように図示されている。