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Channel: 与論島クオリア
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断層の形成過程のイメージ2

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 『新編 日本の活断層―分布図と資料』(活断層研究会、1991年)は、与論には確実度Ⅰの活断層が二つあるとしている。

朝戸断層
・城面  S(20)
・那間面 S(15)

辻宮断層
・城面  E(50±)
・那間面 E(10±)
(p.401)

 これの意味するところを図示すれば、下図のようになると思われる。

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 これを見ると、小田原・井龍の、

 ここでは各ブロックの高度を固定して、北東ブロックおよび西ブロックを断層形成以前の標高に戻すことにする。このようにして見積もられた断層による変位は、西北西-東南東断層により北東ブロックが約10m、北北西-南南東断層により西ブロックが北部で約10m、同南部で約50m落ちたことになる。「鹿児島県与論島の第四系サンゴ礁堆積物(琉球層群)」(小田原啓・井龍康文『地質学雑誌』1999年)

 という記述は、やはり相当に単純化したものだと分かる。

 『新編 日本の活断層―分布図と資料』では、活断層の可能性を想定した崖の位置も描かれているので、これを元に、再度、断層形成の過程をイメージしてみる。

 前提としては、ウカチとシナハに最初、標高差は無かったとする。また、仮定としては、城面に対して、周囲が沈下したとしてみる。

 まず、辻宮断層の南部、城(グスク)の西方が下降する(1)。その影響を受けて、茶花の北方が落ちる(2)。茶花北の崖はひとつの線ではなく、三か所に別れているのは、南部の下降の影響を受けた側であることを示していると見なす。次いで、南部、茶花北の下降に耐えられなくなって、辻宮断層の北方部分も下降する(3)。

 次に、朝戸断層が、城(グスク)の北面で下降する(4)。この影響を受けて、辻宮断層の北部分も下降する(5)。ただし、この下降によって、「宇勝」側が「品覇」側の下になるほどではなかった。もともとの城(グスク)の西方の下降が著しかったためである、と考える。

 この形成順を番号で示す。

Photo

 上図の3と5は、下降だけではなく、南北へのずれも生んでおり、「宇勝」側が北へ伸び、「品覇」側は南へ伸びている。


『新編 日本の活断層―分布図と資料』



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