ユニット2Cの堆積後に、海水準は55m降下して、標高35mに達する。「この低海水準期には島の低所にサンゴ礁が形成され、サンゴ石灰岩(ユニット3C)が堆積した。これらは古里および品覇などでみられる」(「鹿児島県与論島の第四系サンゴ礁堆積物(琉球層群)」(小田原啓・井龍康文『地質学雑誌』1999年))。
この後、再び海水準は上昇。100mまで達し、島は完全に海中に没したとみられる。
ということは、海面から下いっぱいに珊瑚礁が広がっていたということか。見てみたかった。
これまで珊瑚礁島としての与論は、隆起が進むにつれ、与論城の周辺から順に、下へ下へと珊瑚礁ができ、陸化とともに石灰岩化したものと漠然とイメージしてきたけれど、それは全く違って、下から上へと作られていったということだ。しかもそれが三回、続いている。たとえば、ハジピパンタの厚い層も、二回分の海水準上昇の跡をとどめているかもしれない。境界がわかるだろうか。