2.「葬制の分類」
「葬制の分類」(酒井卯作『琉球列島における死霊祭祀の構造』) 琉球列島では「まず、火葬については常民の一般的な慣習の中にはほとんどその痕跡がない。また海上信仰を基本とする生活を保っているのに、なぜか水葬の慣習は存在しない」(p.14)。 そこで、検討すべき葬制を酒井は、「埋葬」と「地上葬」とに整理する。 地上葬。「非埋葬という意味」。「野ざらし、樹上葬、洞窟葬など」...
View Article3.「樹上葬」
「樹上葬」(酒井卯作『琉球列島における死霊祭祀の構造』)。 樹上葬を考えるきかっけになるのは、名越左源太の『南島雑話』。酒井は、名越の言及が無ければ、琉球列島において、樹上葬が話題になることは無かったのではないか、と言う。 「ノロクメノナキカラヲ樹上ニ櫃ニヲサメテ掛置事三年骨洗テ後ニ壺ニ納メ置」(『南島雑話』)。...
View Article4.「岩上葬」
「岩上葬」(酒井卯作『琉球列島における死霊祭祀の構造』)。 岩上葬とも言うべき形態もある。いわゆる岩上墓。酒井は、「万葉集」の一節を思い出してほしいと書いている。「高山の巌の上にいませつるかも」。高山の巌の上におられるままになってしまった。「おそらく山上の岩の上に死者をおいたとみられる」(p.25)。...
View Article5.「洞窟葬」
「洞窟葬」(酒井卯作『琉球列島における死霊祭祀の構造』)。トカラ列島 洗骨改葬の風習はなかった。トカラ観音の洞窟の中は、「もとはあるいは葬地としての性格をもっていたとみられる」(p.29)。喜界島 かつては洞窟葬が支配的。ムヤと呼ぶ。「島の各地区にくまなく分布していて、自然に出来た岩礁の裂目を若干人工的に掘りこんで内部を広くして、その中に洗骨した骨を納めた石棺(テラ)をおく」(p.29)。奄美本島...
View Article6.「砂葬」
「砂葬」(酒井卯作『琉球列島における死霊祭祀の構造』) まず砂丘地を葬地とする原則があった。やがて居住地が陸地の方に移動すると、今度はその陸地で埋葬する場合、古い慣習に従って墓穴(いけ)の中に砂を入れる。さらに棺の中い砂を投げ入れるというふうに変化してくる。そして最終的には死者の硬直を柔らげるという口実で砂をかける呪術へと発展していく、これが私の描いた筋書である。(p.42)...
View Article10.「弔いあげと洗骨」
「弔いあげと洗骨」(酒井卯作『琉球列島における死霊祭祀の構造』) 沖永良部島の例。・三年忌に洗骨する。・前日の夕方、身内の者が埋葬所に線香や水、花などを持参して、「ナ-チャ キュラサシャーブンドゥ...
View Article11.「折目行事と洗骨」
「折目行事と洗骨」(酒井卯作『琉球列島における死霊祭祀の構造』) 洗骨はいつするのか。奄美と沖縄では異なる。 沖縄の場合。七夕。日無し、骨無し、天無し(国頭与那)。七日盆として、祖霊迎えの初日に当たる。...
View Article13.「深夜の饗宴」
「深夜の饗宴」(酒井卯作『琉球列島における死霊祭祀の構造』)。物語のようなタイトル。 琉球弧では、洗骨時になぜ傘をさすのか。傘の使用は、「深夜の行事の合理化した姿」(p.72)。 「洗骨は他人に見せるものではない」(与論島)。 闇を支配するものは、悪霊である(p.73)。...
View Article14.「洗骨習俗の分布」
「洗骨習俗の分布」(酒井卯作『琉球列島における死霊祭祀の構造』)。 種子島の洗骨、トカラの中之島の洗骨は与論島、奄美大島からの移住者によるもの。したがって洗骨の北限は奄美大島。 ただ、「大島でも地方によっては最初から洗骨しないところもある」(昇曙夢)。 問題は徳之島。島を二分して、東部は洗骨を行わず、西部は行う。...
View Article15.「考古学的にみた洗骨」
「考古学的にみた洗骨」(酒井卯作『琉球列島における死霊祭祀の構造』)。 考古学の成果を洗骨習俗に結びつけて考えてみると、現在の濃厚な祖先崇拝と結びつくような洗骨の風習は少なくとも十三世紀頃までは一般的には存在しなかったと考えられる」(p.83)。 宮古島。「最終的な形としての洗骨を伴った巨石墓が、十五世紀頃に華南人自身によって宮古島に直接導入されたということになる」(p.86)。...
View Article16.「洗骨文化の成立」
「洗骨文化の成立」(酒井卯作『琉球列島における死霊祭祀の構造』)。 深夜、腐敗の状況を心配して鎌を携え、黙々として月の影をふんで、墓地に向かう姿を想像すると、そこには洗骨のもつもっとも本質なものがこめられているように私には思える(p.87)。 「鼓ねり祭」の詳述(メモ)。...
View Article17.「喪屋の構造」
第二部、死霊祭祀の構造。第一章、遷居葬。第一節、喪屋の構造(酒井卯作『琉球列島における死霊祭祀の構造』)。 モヤとは死者を置く場所、あるいはその場所で死者とともに身内の者が過ごす建物を指すのが通常の形式(p.103)。 殯(もがり)。 ムヤとは生と死の接点をかもしだす場所で、ムヤ以前にも、ムヤ以後にも、死を決定づける何ものもないと思われる(p.104)。...
View Article18.「屋内葬と屋敷神」
「屋内葬と屋敷神」(酒井卯作『琉球列島における死霊祭祀の構造』)。 この節は難しかった。難所にさしかかっているのかもしれない。 自分の住居を喪屋(ムヤ)とする考え方への注目。「屋外の葬地だけを喪屋と呼んだ奄美を中心とする琉球北部の例に対して、沖縄以南の地方では葬地ではなく、自らの住居をもって喪屋と呼ぶ傾向が顕著である」(p.120)。 この風習の母体となる伝承。...
View Article20.「網の呪力」
「網の呪力」(酒井卯作『琉球列島における死霊祭祀の構造』)。 「琉球列島では身近な人たちが死者と共にその蚊帳の中で籠るところがある(p.145)」。これは「内地ではあまり例のみられない」こと。...
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