「屋内葬と屋敷神」(酒井卯作『琉球列島における死霊祭祀の構造』)。
この節は難しかった。難所にさしかかっているのかもしれない。
自分の住居を喪屋(ムヤ)とする考え方への注目。「屋外の葬地だけを喪屋と呼んだ奄美を中心とする琉球北部の例に対して、沖縄以南の地方では葬地ではなく、自らの住居をもって喪屋と呼ぶ傾向が顕著である」(p.120)。
この風習の母体となる伝承。
柳田國男、「炭焼小五郎が事」。注意するのは、「東北と南島に濃厚に存在する死者と竈の関係」。
・大晦日、貧しい老夫婦のところにグットゥ(盲目)が宿を請う。地炉の前に寝せて、翌朝見ると、黒焦げになっている。三日すんだらお上に届けようと、グットゥを押し入れにかくして三日目に見たら、黄金になっていた。お上に届けると、黄金は褒美にくだされ、老夫婦は金持ちになった(徳之島)。
・(長者の家に物乞いにきて、そこの主婦におさまっている別れた元の妻をみて、恥と悔いに堪えず、竈の前で死んでしまう(「炭焼小五郎」の話の筋)。女は急いで竈の下に穴を掘って埋めようとする。そこに夫が帰って理由を聞く。女房は竈のおかげで金持ちになったから、なお栄えるために竈を作っていると言って手伝わせて、神として祀り、ますます繁昌した(与那国島)。
・驚いて死んだ男を便所の裏に埋めると、そこから草が生えた草が煙草だった(宇検村)。
内地を含めて、琉球列島の昔話の中で死者が葬った場所が竈の近くであったり、高倉の下(沖永良部島の例。「クラヌシチャバカ(与論島)」-引用者注)であったり、もしくは家の庭であったりするのは、その物語の成立する条件として、じっさいに葬地を設定するのに屋敷の中を選んだのではないかという痕跡を、これらの話の中で探ってみたかったのである(p.125)。
酒井の関心から逸れるが、これは農耕社会の定着が生んだ民譚だと思う。対幻想を定着させることに利害の方向が向けられている。死ぬのは、盲者であり、貧者となった元夫であるというように共同幻想から疎外を受けた者たちだが、なかでも元夫という対幻想にとって矛盾した存在、対幻想が破たんして次の対幻想を持てない者が死に、それが冨をもたらすことになっている。怖い話だが、ここで対幻想の象徴になっているのが、竈と女だ。
次に酒井が取りげるのは屋敷内に葬地を設けた例。
・与論島のシヌグ祭。市来屋敷の西の隅にチアラの神の骨という伝えのある骨壺がある。春秋の彼岸には市来家が骨壺を開き、粟盛で骨をふく儀式が親族一同の前で行われる。
・海から頭骨が流れついたので、拾い上げて屋敷の隅に祭ったところ、貧しかった家が次第に金持ちになった(今帰仁)。
・二、三男が死ぬと、屋敷の子の方角に二、三坪の囲いをして埋めた(宮古島)。
・戦後までは家の裏、屋敷の内に祖先を葬った。部落内では六ヶ所の家の裏に墓があった(八重山地方)。
死亡することを「シーヌヤーに往く」という(石垣市)。シィは霊魂のこと。シィヌヤとは、死者の霊魂のいる家ということにもなる(p.130)。
屋内の葬地は、守護神としての屋敷神のような性格を持っている。いとおしさと尊崇の念で説明されるが、死者に対する強烈な畏怖感、「葬地に対する禁忌感は内地のそれよりも濃厚」という矛盾がある。これをどう考えるか。
と、酒井は進めている。
ここでも酒井の関心から逸れてしまうが、葬地を屋内に置くのを島人の富裕の問題を除くと、他界が空間的に疎外されていないことが気になる。これは、農耕社会以降にも、時間としての他界観念が強固なことを物語らないだろうか。でも、結論を急がずに、酒井に耳を澄まそう。
「葬地に対する禁忌感は内地のそれよりも濃厚」ということは、知らなかった。