「頭骨崇拝」(酒井卯作『琉球列島における死霊祭祀の構造』)
人間の抱く素朴な感情は、不滅なものに対する崇敬であって、死後関心をあつめるのは骨の部分だけである。洗骨ということは、要するに不滅なものと腐敗するものを区分けする重要な作業で、いいかえれば嫌悪すべき場所と尊崇に価する場所の撰別である。さらに骨の部分も、頭骨と肢骨とに区分され、洗骨には頭骨だけに関心が集中する。洗骨行事にみられるように、肢骨は洗われると海上に放棄されるか、墓地の後方に用意された窪地に捨てられ、以後は顧みられないというのが通例である。(p.56)
頭骨に関心が集中するのは体験的に了解できるが、頭骨だけに、と限定されるのは知らなかったので驚いた。与論島では「肢骨は捨場という藪があってそこに捨てたとい」う(p.56)。加計呂麻島では、「洗骨が終わると、雑骨類は舟で沖まで運び、「竜宮へ帰って下さい」といって海に投げるという」(p.57)。
古くからの伝統的な考え方として頭に霊魂が宿ると信じられていたもので、とくに頭の後方に霊魂の存在を考えている人が多い(p.57)。
沖永良部島では出生児にマブイを入れる呪術として頭をなでながら呪言を唱え、ホーホーと息を吹きかける(甲東哲)。
洗骨行事にはっきり示されるのは、まず頭骨から洗いはじめるという慣例が一般的だということである。茂野幽考氏によれば、骨を拾いはじめる頃はさほどの感情はなく、足が出た、これが歯など軽い気持ちで拾っているが、いよいよ頭骨が出てくると、拾いての女たちはたいてい泣きだすという。(p.58)
これは年月を隔て住んできた死者との感無量の再会というべきものであろう(p.58)。
メモ
ぼくも洗骨はまさに再会だと捉えてきたが、考えるべきことはもっとありそうだ。琉球弧では霊魂は頭部に宿ると考えられた。場所を特定してイメージしたわけだ。イメージ化は進み、身体が霊魂の衣裳だという概念まで辿りついている。その表象が、入墨。洗骨は、霊魂の宿る場所との再会による死の段階化。