「砂葬」(酒井卯作『琉球列島における死霊祭祀の構造』)
まず砂丘地を葬地とする原則があった。やがて居住地が陸地の方に移動すると、今度はその陸地で埋葬する場合、古い慣習に従って墓穴(いけ)の中に砂を入れる。さらに棺の中い砂を投げ入れるというふうに変化してくる。そして最終的には死者の硬直を柔らげるという口実で砂をかける呪術へと発展していく、これが私の描いた筋書である。(p.42)
砂地が葬地に好まれた理由。
1.土壊の浅い土地では埋葬するのに容易である。
2.再葬するのには、骨化が促進されるために好都合である。
3.海上他界の観念などが当面、考えられる理由。(p.43)
メモ
「砂葬」は、酒井の言うように、海上他界の観念とのつながりがあると思う。霊所としての海の向こうと墓所としての砂丘。19世紀になって風葬を禁じられ第一次葬として埋葬を始めた与論でも、「砂葬」にできる立地ではそうしてきたと思える。
珊瑚礁をそれをとりまく砂浜の美しさ、琉球列島の大きな特色としてすばらしい景観を呈しているが、同時にこの砂浜と葬地が結びあっていることも一つの特徴である。(p.40)
もうひとつ、備忘のための引用。
砂地の葬地としてもっとも注目されるのは、読谷村木綿原(もめんばる)遺跡。
被葬者の多くが貝を纏って埋葬されており、その埋葬地はいずれも標高三~五メートルの海岸砂丘地(p41)。
cf.木綿原遺跡