貝はトーテムであり人であるという視点からみると、アンチの上貝塚のイモガイ集積と小貝塚は対応しているのではないかと考えてみたくなる。
イモガイ集積は6基あり、小貝塚は8つカウントされているから、直接には対応しない。また、イモガイ集積も数はばらばら、1基はゴホウラ主体のものだ。
小貝塚の貝構成をみると、シャコガイ族の構成比が高く、オウギガニ段階を示している。そこで、貝を男性貝と女性貝に腑分けしてカウントしてみると、女性貝がやや多くなる。ここに、イモガイ集積の男性と女性(アンボンクロザメ、クロフモドキ:男性、ゴホウラ、アツソデガイ:女性)を加算すると、男女比は、1.05になる(男性貝:1705、女性貝:1631)。
小貝塚それぞれの男女比はばらつきはあるが、男性貝と女性貝とでなるという構成には変わりない。それぞれの小貝塚は、母系の集団の単位を示している。そのなかで、ある一群が別の集積の場に置かれたと考えると、ゴホウラとイモガイの集積は、この集団全体の「をなり」(と「えけり」)を代表し、イモガイの集積は男子結社を示すと想定することができる。
小貝塚のある区域では、アカジャンガー式土器は検出されず、イモガイ集積のある区域では出ている。イモガイ集積のある区域の炭化材から得られた放射性炭素年代は、BP1677±44で、コモンヤドカリ段階の年代を示している。ちなみに、集積付近で得られた土器もアカジャンガーを含むことが多い。この集積は、コモンヤドカリ段階に入った時点で置かれた可能性もあるわけだ。
しかし、ゴホウラとイモガイのセットや、イモガイの大きさは、これがヤドカリではなく、オウギガニであることを示している。仮にこの集積が放射性炭素年代の時代に作られたとすれば、これはコモンヤドカリ期への移行に対する葛藤を示すのかもしれない。自分たちはカニでありヤドカリではない、という。あるいは、母系を維持したい意思の現れである。
アンチの上貝塚は、集落には不向きであり、わざわざここに貝塚を形成したことが分かっている。それは、おそらく本部に拠点を置く集団の「あの世」が瀬底島だったことを意味している。アンチの上は「交易」の拠点と目されている貝塚だ。「交易」の概念のない段階で、貝を贈与するのに、「あの世」を介したというのが、贈与の仕方だったのではないだろうか。
「交易」の場とみられている場が、「交易」など存在していなかったとしても、充分に読み解くことができる。この不思議な二重性に突き当たる。ここからは、島人のトーテム思考の余剰として貝の「贈与」を見ることができる。