第二章、「墓制の起源」。第一節、「名称にみる墓の形態」(酒井卯作『琉球列島における死霊祭祀の構造』)。
奄美諸島
・パカ、トーロ、ムヤ、ハヤ、テラ、ウブ、ギシ
沖縄本島
・パカ、ハラ、シンジュ、ツカジュ、モー、ガマ、グシュ、トーシ
宮古諸島
・パカ、モト、ツカジュ、ミヤカー、ガマ
八重山諸島
・パカ、ヌーヤ、シー、イシヤー、フ(ホ)カヤー(p.482)
墓地は、その地域の立地条件を背景にして成立し、そのまま墓の名称となってあらわれている(p.484)。
洞窟が墓の名。集落が平地に発展している沖縄本島や八重山では、ハラ、モーのように原野を意味する表現(p.484)。
地名がそのまま墓地を指している。
葬地には、ただ丸石などを置いてやがては忘却した。石に死者の名を刻むようになると、死者の形代のような新生な意味を添えて半永久に記念碑として残るようになる。これが現在の墓と呼ばれるものの出発点。「祖先の記念は今の人が想像して居るやうに、文字の刻んだ冷たい石の塔では無かった。亡骸はやがて朽ちて行くものとして、遠く人無き浜や谷の奥に隠して、之を自然の懐に返して居たのである」(柳田國男)(p.486)。