恐ろしいものを読んでしまった。
中山太郎は、「人身御供の資料としての「おなり女」伝説」(『生贄と人柱の民俗学』所収)のなかで、田の神への女性の人身御供を取り扱っている。これは1925(大正14)年に書かれたもので、すでに穀母としての女性の殺害と植物としての再生を知っているぼくたちには、理解できる内容だが、琉球弧の視点から見る時、人身御供としての女性の名を「おなり女」としていることが注目される。
中山はどこからこの言葉を持ってきたのか。
オナリの土俗もかかる時代に犠牲-すなわり人身御供の一として、我らの遠い祖先なる古代の農民に工夫された祭儀なのである。オナリの語は世人の多くに忘られてしまったが、それでもまだ一部の間には活きている。伊賀国名賀郡地方では今に水仕女をこの語で呼んでいる。琉球ではオナリの語は姉妹の意に用いられている。内地の神名や地名にあるボナリ(母成の字を当つ)、ウナリ(宇成は於成の字を当つ)等もおそらくこのオナリの転訛である。(引用者が現代語かなづかいに変更した箇所あり)
と、琉球は一例として挙げられているが、根拠の筆頭ではないらしい。
オナリはヒルマモチとも言った。昼間持の意で、田植えの折りに働く早乙女その他の者の昼飯を持ち運ぶ役に当る女性だる。このヒルマモチが田の神の犠牲に供えられるのである、としている。
ということは、内地においては、田植えに昼飯を届ける役の女性をオナリ女と呼んでいたということか。
もともとこの論考は、柳田國男が「郷土誌論」において、「オナリ女が田植えの日に死んだというのは、オナリ女の死ぬことが儀式の完成のために必要であったことを意味する」という個所を発端に書いたもののように見える。
琉球の話題も出てくる。
琉球の大祭はシヌグというがこれは全く農業祭である。この祭儀には東の方から男が、西の方から女が出て田遊びの神事を行うが、この折には正視しえられるほどのきはどい事をする。これらの土俗は改めて説明するまでもなく、農業と生殖との信仰を表現したものである。
シヌグのことは、伊波普猷談と書いている。このシヌグの模様は、男女の対幻想そのものを農耕祭儀化したものだから、穀母の殺害のあとにくるものだ。
この穀母の殺害には男子の秘密結社が関わって、仮面仮装の「祖先」が神話を演じられていたが、ぼくたちはこれを、琉球弧の来訪神祭儀の前に当るものではないかと考えてきた。この段階は、母系社会であったかどかとは関わらずに成立するので、ということはオナリ神信仰の前を示すことになる。
琉球弧では、殺害された女性、おなり神は母系社会の進展とともに、霊的優位の言葉として生きることになるが、内地では、殺害される女性の呼称のまま、人身御供が無くなるのとともに言葉も消えていったということだろうか。
琉球弧における「おなり神」という言葉の聖性、重さを踏まえると、この「オナリ女」伝説も衝撃を受けずにおれない。