エリアーデの『大地・農耕・女性』について、ぼくたちの問題意識にひっかかる個所を挙げていく。
大地はあらゆる存在表現の基礎。それは宇宙的。農耕の始まりとともに、それは地下的になる。
子供は父によって受胎させられるものではない。子供は父の存在によって合法的となる。父の存在は、彼自身をもって終わるのであって、決して他のものを通して次へと伝わることはできなかった。
大地は地母神だったが、農耕によって植物と収穫の大女神に代わられる。地母神が穀母神にかわる。
女性は農耕を発見した。人類と大地の比較は、農耕と妊娠の真の原因を、ふたつとも理解しえた文化内において起こる。
再生供犠は、天地創造のひとつの儀礼的な繰り返し。
食物生命に宿る力の再生は、時間の更新を通じて人間社会を再生する力を持っている。
死者は生者の豊穣儀礼に参加するために返ってくる。
ことごとく、ぼくたちの問題意識に関るのだが、南太平洋の事例があまりないために、知りたいことに一歩、届かないもどかしさがあった。
現状の仮説は、
・女性の殺害による穀物としての再生という農耕祭儀。
・穀母神とその子の穀霊という設定による殺害の消滅。
・人間の性交と妊娠のつながりの認識の獲得。
・男女二神の設定。
・兄妹始祖神話の誕生(更新)。
という流れだ。
わからないのは、女性の殺害時点で、男根や精液に対する信仰があった時点では、人間の性交と妊娠のつながりの認識は無かったという理解でいいのか、ということだ。