『他界観念の原始形態―オセアニアを中心として』において、棚瀬襄爾は地上の他界に伴って現れる首狩りの分布について考察している。
首狩は農耕社会に現れ、異族の首級であることに意味を持っている。アンダマン、セマン、アエタ族やオーストラリアの自然依存の採集民・狩猟民では行われない。ポリネシアの大部分にも欠如している。インドネシア、メラネシアの農耕を行っている種族で行われているが、しかし、メラネシアのバンクス諸島、ニューヘブリデス諸島では行われていない。農耕民族が必ずしも首狩を行うわけではない。
首狩の成立には、同族の頭蓋崇拝と首狩を切り離して理解することはできない。
として、棚瀬が加えるのは次のことだ。
首狩によって獲得せられた首級は、同族頭蓋がそうであったように、宗教的に力を持つものである。否、複葬の廃止によって宗教的対象を失ったものが、その欠を補わんとして首狩の習俗を起したのである。かくして得られた首級は農耕の豊穣ももたらし、新築家屋を強化することにも、あるいは悪疫の駆除にも役立つとされたであろう(p.750)。
棚瀬は自問自答している。
なぜ、同族頭蓋が異族に代替されるようになったのか。
地下他界を持つ文化に、複葬を行わない乾燥葬の文化が混入し、「頭蓋保存を試みる文化が本来持っていた地下他界の観念をほとんど失ってしま」ったためだ。
同族頭蓋はそのまま宗教的対象だったが、異族の頭蓋はなぜ、供犠の観を呈するようになったのか。
神観念の発達のために、頭蓋が人と神の中間的存在となって、嘆願の儀礼または対人儀礼における供物になった。ここには、死汁の塗布や食人によって力を得ようとした乾燥葬の観念の参加が重要な要素になる。
「複葬の廃止によって宗教的対象を失ったものが、その欠を補わんとして首狩の習俗を起した」というのは興味深い視点だ。複葬の廃止によって頭蓋保存をしなくなって種族が、その欠如を補おうとしたということだ。
しかし、首狩はしばしば喪明けに行われるから、頭蓋保存と関連があるのは確かに思える。しかし、頭蓋保存は家族儀礼に過ぎないが、首狩は共同儀礼だから、両者は異質なものだ。ここには家族儀礼であったものを共同儀礼化せざるをえない契機があったはずである。両文化を担った種族の混合による共同体が成立し、個々の家族で頭蓋保存を行うことに矛盾を生じた結果、共同儀礼として疎外するより他になかった、かつ、それを共同体外に求めざるを得なかった、というような。
このテーマに関心を持つのは、琉球弧の隣りの台湾の高砂族で行われており、それだけでなく、琉球弧も埋葬と乾燥葬の種族がある段階で共存したと考えられているからだ。琉球弧においてもかつて首狩が行われた可能性を否定することはできない。
ただ、首狩種族で現れる乾燥葬の、死体展示や死汁除去という習俗は、琉球弧にその痕跡は認められなく、もっと原始的な死体放置に近い形で行われていたとすれば、首狩は無かったのかもしれない。地下他界は薄れて行ったものの、洗骨や来訪神の儀礼は残ってもいるからだ。複葬の廃止によって宗教的な対象を失うことはなかった。そう見なすのが妥当かもしれない。