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琉球弧ソバージュの他界や葬法理解のための南太平洋例

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 棚瀬襄爾の『他界観念の原始形態―オセアニアを中心として』から、琉球弧ソバージュの他界や葬法にアプローチしてみる。


【1】居住地としての洞窟

 事例1.シタラ・ワニヤ族(セイロン島)。
 洞穴居住者。人が死ぬと、死体はそのまま死の起こった洞穴または岩屋に、仰臥の姿勢で寝かせ、木の葉や小枝で覆い胸上に石を乗せることもある。生存者は他へ居を遷す。火も燃やさず水もたむけない。死者の持ち物も忌避するところはない(P.837)。

 やや離れたスリランカの例だが、洞窟に住んだ場合、死者が出れば、洞窟を死者に預け、移り住んだのに違いない。


【2】葬地としての洞窟

 事例2.ババル島。
 死者の家を捨てる。捨てる際かまどの灰を外に投げすてる。死体は漁網につつんで埋葬することもあり、岩窟に台上葬することもあり、舟棺を用いて埋葬することもある。頭部を東にする。後に頭蓋を掘り、洗骨して饗宴を催す。これがすむと寡婦が洞穴に頭蓋を納める。そこから木の枝を持って来て村の人々がこの枝から木の葉をちぎる。これは死霊の助力を確かめる象徴的手段であるという。服喪期間中死者の夫は剃髪するし、妻は次の新月まで身体を洗わず、頭を布で包む(p.640)。

 事例3.バハウ族(ボルネオ)
 棺は埋めないで岩場に置いておく。昔、マハカム川上流沿岸では、肉の腐り落ちた後、骨を土器に集め、洞窟に納めた(p.610)。

 ババル島は、インドネシアとオーストラリアとニューギニアの中間地点にある島。埋葬もあるが、台上葬も行われ、洗骨をし洞窟に納める。ボルネオのバハウ族でも骨化した後、洞窟に納める。

 事例4.サマール島。
 地下他界(p.551)を信仰しているが、彼らは丸木舟を柩として使う。これを洞穴に持って行って別に葬儀もせず、黙って納める。墓は共同の所にすることが多く、サマール島西岸の住民は、洞穴の多いマリパーノ島(本文はMalipao-引用者注)をもっぱら選ぶ(P.599)。

 ダバオ湾のサマール島人は、埋められない埋葬として洞窟を選んでいる。琉球弧の奥武(オー)と呼ばれる島が葬地になるのと全く同じ形態だ。オーは埋められない埋葬として選ばれた観念もあったと思える。・


【3】時間性としてのみ疎外された他界

 事例5.バイニング族(ニューブリテン島)。
 死霊に対する恐怖心はない。死霊はどこにでもいるが、目には見えず、定まった住所を持たない(p.163)。

 他界が時間性としてのみ疎外されている場合はこういういい方になる。「どこにでもいる」あるいは、「定まった住所を持たない」。


【4】食人

 事例6.バタク族(スマトラ島)
 人間はただひとつの霊魂を持つ。霊魂は恐ろしい時や夢、病気の時に、一時肉体を去り、それが永久に去れば、人は死ぬ。自己の霊魂を強め、養うことはバタク族の人生観の中心をなすもので、食人の習俗も他人の霊魂を自己に取り入れるためだった。トバ・バタク族では、捕虜や姦通罪を犯した者の肉を食う習俗があった。激しい敵意を癒すためでも倒錯的な意味からでもなく、霊質を得るためだった。戦死や姦通者の霊質は特に力強く貴いと考えられた。パクパク・バタク族は年老いた親を殺してその肉を食ったり、ときどき市場に人肉を売りに出ることもあった(p.871)。

 ここではオーストラリアの例は挙げなかった。スマトラ島のバタク族の場合は、より霊魂の転位が明瞭になるだけでなく、「年老いた親を殺してその肉を食」うという例が、琉球弧の伝承が虚構の民話でないことを示唆して、立ち止まらせる。


【5】添い寝

 事例7.スルカ族(ニューブリテン島)。
 死の翌日に埋葬する。家の中に墓穴を掘り、死体を坐位にして埋める。死体の上部を地上に出す。親族は男女別々に若干期間、死体の傍で寝る。のち、しばらくして死者の霊魂を追い払う。死体の肉が完全に腐ると、骨を墓から取りだす。その後、葬宴を催す(p.205)。

 事例8.ニューブリテン島(トーライ族)。
 身分のある者は、本人の要求により担架にのせて、dukduk儀礼を行った秘密の場所や舟庫、農園、植えた木、よく戦った境界地、親類縁者の家を見せてまわる。死の第一夜には、二人の者が死者の両側に一人ずつ寝る。これは、彼らの霊魂があの世へ供するためであるという(p.206)。

 スマトラ島の霊魂の転位のなかには、添い寝の記録を見出せない。かわってニューブリテン島でみつかる。しかし、ここでは「彼らの霊魂があの世へ供するためである」とされている。だから、添い寝即、霊魂の転位とは見なせないわけだ。添い寝の習俗は、食人の習俗のなかで霊魂の転位という観念を帯びたのかもしれない。ここでは、身体を離れずに身体に宿るエネルギーのような観念と遊離する霊魂という観念が混融している。もしかしたらこれが琉球弧の特異性だったのかもしれない。


【6】膝抱き人(チンシダチャー)

 事例9.スバヌン族(ミンダナオ島)。
 人間には関節と息に一種の霊魂があるが、本来の霊魂は頭の頂の下にある。死は、悪霊が関節の霊魂を食うために起こるが、本来の霊魂は無くならず、死に際して身体を離れてどこかへ行く。供養すれば天へ行く(p.551)。

 膝抱き人(チンシダチャー)を考察した時(cf.「添寝論 メモ」)、膝や腕という関節が、霊魂の座位として重視されたのではないかと考えたが、「人間には関節と息に一種の霊魂があるが、本来の霊魂は頭の頂の下にある」という観念はそれとよく符合している。


【7】捕霊・巫覡・哭女

 事例10.カヤン族(ボルネオ)
 原因不明の重病は悪霊の仕業とみ、祈祷によって治療する。狂気も悪霊の憑依を原因とし、病人の霊魂がぬけだしたことが原因だから、霊魂が復帰できるようにする。捕霊するのは職業的巫者。ふつうは病中夢で巫者を勧められて、先任巫に技術を習得する。女性が多い。巫者は頼まれると、トランス状態になり、自分の霊魂を送って病人の霊魂が門ドルようにする。この行事は、歩廊で親族知友に囲まれて病人の側のかがり火の下で行われる。トランスから戻ると、巫者は小石か木片のようなものを持っていて、これに病人の霊魂が入っているとし、病人の頭にこすりつけて霊魂を戻し、霊魂が逃げ出さないように、椰子の葉で腕首をくくる。鶏や豚を屠殺し、椰子の葉に血を塗る。巫者は病人の守るべき禁忌を指示する。死ぬと、社会的地位によって1日~10日、家にとどめる。その間は絶えず2~3人が通夜をし、哭女も雇う。葬送の日は、死者にあの世へ行く道を教える。墓は村からやや離れたさびしい場所にあり、台上葬を行う(p.602)。

 病に際して、捕霊を行うこと、それを巫覡が行うこと、そして哭女の存在。もうほとんど同じ習俗と言ってもいい。


【8】死の確認

 事例11.モーケン族(マライ半島西、メルグィ諸島)
 泉のない木のよく茂った小島を選び、木の枝で台をつくり、その上に死体を寝かす。この島には狩りに行くことはなく、葬儀の以外は避ける。死者が男で舟の所有者である場合は、小舟を二つに切り、一方に死体を納め、もう一方をおおいにする。死体の側には武器その他の所有品を副葬する。これを小島に運び、台上に安置する。数日ないし数週間後親族は島の近くに行き、「おい」と呼んで本当に死んでいるかを確かめる(p.625)。

 死体を島に運んだ後、「数日ないし数週間後親族は島の近くに行き、「おい」と呼んで本当に死んでいるかを確かめる」というのも、全く同じことをしている(cf.「29.「葬宴と死の確認」」


【9】殯

 事例12.タサウ族(マレー半島)。
 誰かが死ぬと遠い森に運び、特に建てた小屋の中に寝かせ、七日間毎日そこに出かけて子供や最近親が見守るが、七日過ぎると、消えうせるものと考えてもう見守りに行かない(p.620)。

 タサウ族の場合、骨化した後の処理は含まれないが、喪屋を建てそこに親族が通うという形式は、身近に感じることができる。


【10】祖先崇拝

 事例13.ベレプ諸島(ニューカレドニア北)。
 浅い墓穴に頭を上にして坐位で埋葬する。頭だけ地上に出しておくこともある。後で頭蓋を取るためである。墓掘り人は穢であるとして、厳重に隔離される。死後一年すると、死体の肉が完全に腐り、頭蓋を取り去って住居近くの各家族墓地の地上に並べる。彼らは祖先の功徳を信じ、墓地である聖域は、犯すべからざる財産で、他人の聖域を犯すことはない。病人を治そうとすれば、まず家族の一人が甘藷の葉を携えて聖域に行き、これを頭蓋に供えて成功を祈る。豊作を願う時もヤム芋の取り入れ前に不作の心配のある時にも、頭蓋に祈る(p.231)。

 墓地が聖域であり、祖先に祈る。琉球弧も、もとは頭蓋に対して祈っていたのかもしれない。祖先崇拝が、埋葬文化において発達するという例。


【11】死者儀礼としての仮面

 事例14.ビナ族(ニューギニア)
 霊魂は、睡眠中や病気の時には外に出る。霊魂の長期の不在が病気の原因。肉体が死ぬとあの世へ行く。あの世は太陽の沈む西方にある。他界から霊魂は帰来しない。あの世は現世と似ているが現世より美しい。この世と同じ生活を送る。人間の中にすむ悪霊もある。悪霊は死の直後に恐れられて、2、3ヶ月、付近を彷徨う。服喪の習俗は、悪霊を恐れ、宥めることにある。悪霊はあの世に行かず叢林に住むらしい。悪霊は特に近親者が恐れ、悪霊を現す仮面舞踏が老人によって行われる(p.288)。

 事例15.プル島
 「死者の踊り」を行う。近死の数名のために、その数だけの役者によって行われる。祭場に囲いをし、スクリーンを設けて太鼓を置き、近親を呼び入れる。役者の装束は、ひそかに森の中で整える。女や未成年者は見てはならない。準備が終えると、人々が集まり、男は前列、女は後列に座る。仮面をつけた役者は、おのおの代表する男女の死者のしぐさや声を真似、ふつう二人ずつ踊るが、真に迫って深い興奮を巻き起こすため、時には喜劇風にこの昂奮を解きほぐす。太鼓の音が劇のはねたのを知らせると、大葬宴が催されるが、その際、死者の家族は、食事の特別の部分を役者に呈する(p.313)。

 仮面仮装の舞踏が、農耕祭儀ではなく、死者儀礼のなかで現れる。プル島では、仮面はまさに死者を演じるのであり、仮面仮装の儀礼の出所をよく示しているのではないだろうか。これは他界の発生が来訪神を生んだというぼくたちの仮説の傍証になるものだ。


【12】海上他界

 事例16.トレス海峡西部諸島
 死者の霊魂は、太陽の沈むはるか西方にる島に行く。この島は生者の舟は行ったことがない。この島はキブと呼ばれるが、「沈む太陽」を意味している。死体は妻の兄弟が世話をし、死体は数日間、台上に置く。数日後、棺台の上を売って叫び声をあげ死者の霊魂を追う。霊魂を追うと、妻の兄弟の主だった者が死者の頭を切断する。頭は赤く着色して、死者の親族に渡す。妻の兄弟は、全身を黒く塗り、頭を葉で包み、厳かな行列を行う(p.282)。

 事例17.サモア人
 死後、霊魂は島を東から西へ行く。島の西端の珊瑚礁にある穴から飛び込んで下界に行く(p.385)。

 事例18.マンガイア島(ハーヴェイ諸島)
 ハーヴェイ諸島のマンガイア島では、死者の霊魂は下界に行くとされているが、冬至と夏至の朝陽に面する島の二つの地点に集まり、朝陽が昇る瞬間に太陽の通る道に行くために出発し、夕方、沈む太陽に面して集合し、太陽が地平線に沈む瞬間に、死霊の一行は夕陽の黄金色の光跡を追い、きらめく海を越えて太陽とともにあの世へ下る、とされている (p.395)

 他界が地下から海上へ伸びていく経緯が示されている。マンガイアの例は、夕陽のつくるあの黄金の道を歩みたいと思うのは、昔からなのだと思わせて、心動かされる。


【13】骨を赤く塗る

 事例19.タミ族(ニューギニア)
 死体を家の下、または付近の浅い墓穴に埋葬する。全村が墓の上に立てた小屋の周囲に集まって、飲食しながら宿営する。最後に慕情の小屋を倒して燃やす。死者の肉が腐り去ると、死者の骨を掘り出し、岱赭(たいしゃ)で赤く塗り、これを束にして、二、三年家の中に保存してから埋葬する。最後に埋葬すると、墓には厳重に木の垣を結び、植える。しかし、年が経って記憶が薄れると、墓には構わなくなる(p.324)。

 掘り出した骨を赤く塗る。これは琉球弧ソバージュでは、血を塗ったとしていて、より古形を思わせる(cf.「57.「滴血確骨と生の充足」」)。タミ族は仮面仮装儀礼でも接点を持っている。


【14】再生信仰

 事例20.トロブリアンド諸島
 死の翌朝、埋葬する。墓の上に小屋をつくり、近親者は三晩、そこで寝る。死者の兄弟たちは、死後、死者の家を破壊するふりをなし、親族が制止する。埋葬後、しばらくして死体を発掘して頭蓋を石灰入れとして死者の子供が使用する。死者はあの世の一生を終えると、母系氏族の誰かとして再生する(p.317)。

 明瞭な再生信仰の例。マリノフスキーのおかげ。「死者の兄弟たちは、死後、死者の家を破壊するふりをなし、親族が制止する」という儀礼が、家を捨てた記憶の名残りのように見えるのも興味深い。



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