『セデック・バレ』に心を動かされた勢いで(cf.『セデック・バレ』)、映画『セデック・バレの真実』も観てきた。この映画は、セデック族の家族が神話の地プスクニを訪ねるのを主軸に置いて、モーナ・ルダオの生き残りの末裔、同化政策のなかで警察官とその妻になった夫婦の末裔、先住民の一人を妻にした日本人警察官の子のことと、霧社事件の関係者の証言を集めたドキュメンタリーだった。
事件にしても、霧社事件だけでなく、その後、収容所に送られたセデックらの人々を対立しあっていた部族の人々が、日本の教唆を受けて襲撃したこと、その教唆を告白した日本人警察官のこと、太平洋戦争では高砂義勇隊として徴兵されたことなどにも取材は及んでいて、関係者の声を広く収集したものだ。『セデック・バレ』の背景というより、映画の題材となった霧社事件の事後譚である。
また、史実を残すというだけではなく、警察官になった先住民出身者が事件の首謀者と目されていたことがあること、モーナ・ルダオの末裔はいないとする風評のあることなどの、もつれた糸をほぐす役割もひとりでに担っていた。
印象に残るのは、いまは土地を追われたセデック族がかつて対立していた部族の人に、事件の舞台のひとつになった洞窟を案内してもらいながら話す互いの関係のこと。セデック族が追放された後に、セデック族の狩り場をもらいうけた部族の案内人は、ここはいまは自分たちの狩り場だとしきりに言う。自分たちが追い出したわけではない、と。セデック族の洞窟の訪ね人は、それはそうだ、いまはあなたたちの狩り場と認めてやる、その応答はやるせなく響いた。
また、山中のゆかりの地に行き着いた二人の年長者の方が、この子はセデック語は話せないけど、ご先祖様に会いに来ましたと紹介し、酒を先祖と酌み交わす。墓碑に刻まれたセデック族の人たちの名が中国語で記されているのを、仕方ないよな、子供たちは読んでくれると頷く。名を譲り受けた末裔の人が、自分の名を嫌に思い、霧社事件に触れるのを避けるように生きてきたものの、周囲の勧めもあってのめり込んでゆく。そうしたひとつひとつの場面が、ちょっと変換すれば、自分たちのことに思え、またほとんど同じことに悩み、突き当たるものだということが伝わってくる。そういうドキュメンタリーだった。
セデック族には、木と一体になった岩プスクニから生まれてという神話がある。映画でも彼らはしきりに祖先といい、それは直接的には親や祖父母を辿ることを意味していたが、そこには、ありありとした力を感じる巨岩と巨木(大地)から生まれたという神話時代の意味も失われていなかった。古代の息吹を知っている民なのだ。彼らはプスニクにたどり着いて泣く。そこには生き残ったことへの喜びも含まれているはずだ。
生き残った人しか語ることはできない。自殺を含めて、それができなくなりそうな事態の時に、生き残ることを説く人がいる。そういう人がいたから、生きて証言を語ることができた人も少なからずいる。また、証言するにはそのために語る言葉が要る。それは事件直後に可能なのではなく、傷が全て癒えることはなくても、少なくとも発語することができるまでの時間も必要だった。
マイノリティのそのまた生き残った者の声は、その意味でとても貴重なものであるには違いない。しかし、観る者は、そこに死者の声も聴き取ることを求められているのではないだろうか。