琉球弧の葬法について詳細に辿るとすれば、家を去る/去らない、埋める/埋めない、改葬する/改葬しない、という態度の分岐を考えれば、2×2×2の8通りを考えればよいことになる。しかし、「家を去る」場合は、改葬する/改葬しないの選択肢はなく、「改葬しない」の1通りになるから、実際は6通りが想定できる。
読谷村の木綿原遺跡では、貝塚時代の十二体の人骨が出土。伸展葬で貝がおいてある。改葬された痕跡はない。このとき、家を去ったかどうかは判断がつかないとすれば、これは、1か4に属する。
石垣島新川ビロースクの13世紀の人骨は、住居跡の近くに、胸に両手をおいた屈葬。これも改葬のあとはないので、4に属する。
読谷村大当原貝塚では、頭骨のみを二次的に改葬した後がある。これは3に属する。
伊是名島の具志川島遺跡からは、岩陰から人骨が出土。貝輪を前脳部につけ改葬されたもの。これは3あるいは5に属する。
徳之島喜念貝塚、同島面縄貝塚で見出された人骨は、二次葬、三次葬の集骨と考えるのが最も自然だと、国分直一は書いている。この記述だけからは分かりにくいが、3あるいは5に属する。
考えてみれば、2、6は出土する対象にはならず、野ざらしに置かれていたり、風化していたりするだろう。
だから、ここでは1~6はどれも想定できるとしておく。