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Channel: 与論島クオリア
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霊力思考と霊魂思考における病因と治療法

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 樹上葬や台上葬などの霊力思考の強いところでは、病因や死因は呪術によるものと考えられる。しかも呪術には、部族の掟を破ったため死者の骨が体中に入ったためというように、物質的に捉えられることもある。したがって、治療法は、原因となったものを取り除くことに求められる。

 オーストラリアのアンタキリンジャ族では、死は呪術の結果と考える。人の胆または大網の脂肪の除去、またある種の草、人骨の尖棒などが入ることによるとしている。治療法はマッサージにより原因と取り除くことなのだ。

 これに対して埋葬を行う霊魂思考の強いところでは、病因や死因は、身体から霊魂が離脱することだから、霊魂の捕霊が治療法になる。

 つまり霊力思考では原因(呪術)の身体からの除去が治療法であるのに対して、霊魂思考では原因(霊魂)の身体への挿入が治療法であり、両者は対称的だ。

 さらに棚瀬襄爾は『他界観念の原始形態』において、ぼくたちの言葉でいえば、霊力思考と霊魂思考の混合形態もあるとしている。

 たとえば、マリンド・アニム族では、原因不明の内部疾患は呪術によるとし、伝染病は悪霊の仕業としているが、これは霊力思考と霊魂思考の混在を示している。

 スマトラ島沖のニアス島人は、人間は肉体と「気息」とルモルモからなるとしている。肉体は死後、空中に融け去り、「気息」は神から授与されたもので、これが無くなれば人が死に、「気息」は風に帰すとし、ルモルモは死後は、墓の付近に残るものと、地下界(または天上)に行くものに分かれる。この記述からは、「気息」が身体に宿る霊力であり、ルモルモが霊魂であるとみなせる。

 ニアス島人は、病気の原因はルモルモが身体になくなった時、ルモルモか人体が傷ついた時であり、ルモルモを持ちさるのは、悪霊、死霊であるとする。治療は司祭か「俗人」の呪医が行う。ルモルモを失った時は、司祭がルモルモを布で捕まえて患者の頭や肩にあて、また饗宴を催して代々の先祖に祈り、その力でルモルモを取り返す式を行う。死霊は人を脅かしたり噛みついたりしてルモルモを抜き出す。流行病は悪霊がその地方を歩き回るためであるから、村を閉じて悪霊を払わなければならない。村内に病気が多いと、司祭は悪霊を払うために村中を槍で打ちたたき、小刀で切りまくりながら歩く。

 呪詛によってかかった病気、たとえば体内に石を投げ込まれたためにリューマチにかかり排尿ができないと、呪医が膀胱から赤や白の小石を吸い出す。

 このニアス島人の場合も、霊魂思考と霊力思考が混在しており、治療者も違っている。この呪医の場合の例は、リューマチではなく、現地人の認識を書いてほしかった。こうは云わなかったと思える。

 ニューギニアのツムレオ族では、病気は死霊が憑くことが原因であると考えられていて、治療法は供物をして死霊に出ていってもらうことだという。棚瀬はこれを混合と云うのだが、その意味は、死霊の仕業とする点は霊魂思考だが、その除去という治療法が霊力思考だと見なしていることになる。

 さらに棚瀬は、混合の進んだ形態の場合が魔術だとしている。

 ニューギニアのカイ族には、自然死の概念がなく、死因は魔術か死霊の働きによるものとしている。人が重病になると宗教的職能者を呼んで、死霊によるものか魔術によるものかを決めてもらう。

 魔術によると見なされる場合は、魔術師が病人の霊魂を取り出し瓶詰めにしているために病気が起こると考え、魔術師を発見してやめてもらうか、鞭に呪薬を塗り、これを持って夜、森に出かけ、口笛を吹く。すると呪薬につられて家に持ち帰り、病人の霊魂を戻して治療する。

 カイ族の場合、呪術による霊魂の除去が霊力思考的であり、捕霊の取り戻しが霊魂思考的であることになるが、この、霊魂に対する呪術を棚瀬は魔術とみなしている。棚瀬によれば、メラネシアの一部とニューギニアはまさにそのような地域だとしている。


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