琉球弧での来訪神と高神のあり方を踏まえると、吉成直樹の『マレビトの文化史―琉球列島文化多元構成論』について、理解しやすい場所まで来たのかもしれない。
謝名城のウンジャミでは、ノロなどの神女がニライ・カナイから神を迎えるが、ノロとは別の神女、「遊ビビラムト」が憑依し、神として踊る。
久高島のカンジャナシーにおいても、二ライの神を演じる遊び神は、女性のムトゥガミであり、彼女たちはティンユタの別名を持つ。
与路島のウムケー・オーホリではこの祭儀にだけ参加するテルコガミは、テルコ神を迎えるとともに、テルコ神として振る舞う。
男子結社の来訪神が洞穴などを通じた地下からの出現を見せるのに対して、神女は海上他界から神を迎え、神を演じる点がちがう。前者は、神に扮するのに対し、後者は神になる。扮するだけで神になる前者に対し、憑依しなくてはならない後者は、前者に対して、後のものだと言える。また、地下の他界が海上に転移したことからも同じことは云える。
これらの擬来訪神のなかで御嶽が関与する場合もある。
大神島のウヤガン祭祀のイイサドウ神事では、そのときだけ参加するシバノウヤガンという女性神役集団がある。イイサドウ神事では、御嶽の神が憑依し、山から出現するウヤガンと、海の彼方の神が憑依し、山を経て出現するシバノウヤガンの二つの型が現れる。
(前略)海から祖神が訪れ、神女に憑依する形式のマレビト祭祀があり、そののちに御嶽に始祖神が存在すると考えられるようになるに及んで、御嶽から始祖神が訪れる形式のマレビト祭祀が形成されることになった。その結果、イイサドウ神事では、このふたつの(始)祖神をめぐるマレビト祭祀は併存することになったが、海から訪れる祖神は、御嶽を経由して、集落を訪れることにな(中略)った。
海から訪れた神が、御嶽に降臨し、それから集落を訪れるという形態である。この型を海神が憑依する型と分ける必要があるのは、その通りだが、それは「御嶽に始祖神が存在すると考えられるようになるに及んで」という理由ではないように思える。
もともと御嶽の高神は動く必要がない。というか動くわけではない。だからウヤガンが御嶽から集落に出現するのは、高神に来訪神思考を接ぎ木したものであり、来訪神が御嶽に降臨するのは、来訪神に高神思考を接ぎ木したものである。この混交は、御嶽を司る祭祀が、政治権力と合体したための作為であると見なされる。