死者が、ふたたび生者の居住地にやってくるという例を、棚瀬襄爾の『他界観念の原始形態』で追ってみる。
◇メラネシア
事例1.種族:モノ島
・他界:モノ島の北、ブーゲンビル島にある大きな岡であり火山(バレカ)。
・帰来:身体が回復すると、モノ島に帰来する。農園で働き、踊り、結婚し、子供を生む
事例2.アル島
・他界:火山(バレカ)。地下と言われることもある
・帰来:帰来する
事例3.ブイーム地方
・他界:火山(バレカ)。幸福な生活を送る
・帰来:帰来しない。
事例4.フロリダ島(ソロモン諸島)
・他界:ガダルカナル島東南部のBetindalo。
・帰来:墓地をさまよい、供物の所へ来るし、夜は笛を吹いたり、踊ったり、叫んだりする。
事例5.サンタクルーズ島
・他界:Tamamiの大火山
・帰来:森に出没する。
事例6.ベレプ諸島
・他界:Pott島北東の海底
・帰来:日中はこの世に帰来する
◇ニューギニア
事例1.トロブリアンド諸島
・他界:トゥマ島の地下
・帰来:死後10カ月位に行なわれる祭りに帰来する
・転生再生:再生する
事例2.マフル族
・他界:山頂
・帰来:山から下って、村や畑をさまよい、食物を探す
・転生再生:年齢によって地上の微光や大茸になる。
事例3.タミ族
・他界:ランボアム(地下)。
・帰来:働き、結婚し、死ぬ 蛇の形をとって帰来する
・転生再生:蟻、蛆になる。森の精霊になる。
事例4.ノアパプア(セピック河西方海岸地帯)
他界:トーテム・センター。
帰来:帰来する。墓に竹筒を刺して出入りを自由にする。
事例5.ツムレオ族
・他界:北方にある地下深くにある幸福の島
・帰来:帰来する。家のそばに若木を切って葉を落として立てて、果物や死者の私物をかけておく
◇ポリネシア
事例1.エリス諸島のヌクラエラエ
・他界:天に行く。
・帰来:帰来して生者を驚かし、死を与える
事例2.サモア
・他界:Savaii島の西端にある珊瑚礁にある穴から飛び込んで、下界に行く
・帰来:帰来するので、人々は恐れる
事例3.ソサエティ諸島
・他界:Po。天界信仰もある。
・帰来:地上を訪れて、人々に霊観を与える
事例4.マオリ族
・他界:天と地下のPo。
・帰来:ときどき帰来して生者の行為や運命に影響を与える
◇東インド諸島
事例1.カンカナイ族
・他界:山に行く。
・帰来:ときどき帰来して病気を起こす
事例2.ミンダナオ島のビラーン族
・他界:地下界
・帰来:時として帰来して、生者を助けたり傷つけたりする
事例3.ミンダナオ島のタガカオロ族
・他界:天
・帰来:時として帰来して、生者を助けたり傷つけたりする
◇オーストラリア
事例1.ナリンジェリ族
・他界:天
・帰来:天から帰来して地上を歩き、好まない者を傷つける
事例2.クルナイ族
・他界:雲の彼方の天
・帰来:生前の住居をさまよう
これらの例を追ったのは、死霊が時折、生者の場所にやってくるのは、他界がそう遠いところに観念されていないことを意味し、他界がいたるところにあるところから、遠くへ遠隔化される中間の段階に位置すると考えるからだ。だから、島や山の他界が多く出現し、海の果てという海上は出現しないのではないか。もうひとつは、死霊の帰来は、霊力思考の側面からみると、弱められ変形された再生ではないかということだ。
そして、帰来が時々で、他界も遠くないのであれば、再生や転生信仰とは同居することがありうるのではないか、ということだ。もっといえば、再生や転生とは同居しやすくても、来訪神とは同居しにくいのではないか。
20の例のうち、8つが島か山である。フロリダ島のBetindaloが何を指すかは分からないが、「ガダルカナル島東南部」とあるので、遠くを指しているわけではないだろう。ノアパプアのトーテムセンターは他界ではないから除外していい。
タミ族は地下他界を持つが、転生信仰があるので、そう遠くないとは考えられる。しかし、ここには来訪神信仰があった。ただ、タミ族の来訪神タダがやってくるのは、10~12年に一度の頻度だ。だから、他界がそう遠くないことと、来訪神の頻度が高くないことが対応していると考えることができる。他の4つの地下他界もまだ遠隔化されていないと捉えてみる。
予想外だったのは、「天」が6つ登場することだ。「天」は、遠隔化された地下他界とは毛色が違うということは気になってきた。「天」は生きていると捉える北方の種族が言うように、「天」は現世的な要素が強い。遠隔化された地下の場合は、死穢の観念があり、生と死の断絶がある。言い換えれば、霊魂思考が強くなり、死者は聖なるものとは見なされなくなる。「天」の他界では、東南オーストラリアの種族のように、死穢観念はまだないのだ。これらの例にある「天」は遠隔化されてはいても断絶された他界ではないと考えることができるのではないだろうか。
ここで確認しておきたのは、毎年のように出現する来訪神も、弱められ変形された再生として考えることができるが、それが海の果ての海上や、はるかな地下からやってくるのは、再生の断念の結果ではないかということだ。