大林太良は、アイヌの霊魂観について書いている(『北の人 文化と宗教』)。
藤村久和らの整理によれば、アイヌの霊魂"ramat"は4つの特性を持つ。
1.霊魂は永久不滅
2.霊魂はこの世と他界を行き来する
3.霊魂はそれ自体見えないが、たとえば人間の形を取るなどして、目の前に現れることがある
4.あらゆるものは霊魂を持っている。人間だけでなく、動植物、自然物、人口物にも認められる。人間くさい神には霊魂がある。
目に見えるカムイの姿はすべてカムイの衣裳と考えられており、霊魂としてのカムイは人間と同じ姿をしているとされる。ただしそれは』通常人間の目には見えない(中川裕)。
霊魂の衣裳としての身体。
"ramat"という語は、 「心」「心臓」の"ram"と「紐」 "at"の二つの部分からなる。
眠っている人の上を飛ぶ虫を殺してはならない。それはその人の霊魂の現象形態かもしれないからだ。眠っている人の身体から離脱した霊魂は、蜂、蝶、蠅、あるいは小鳥の形をとって飛ぶことができる。誰かが眠っているとき、その ramat は鼻孔か口を通って、身体から出、世の中を見物することができる。したがって、身体を動かしてうんうんと唸っていても、その人を急に起こしてはいけない。魂が出たきりになってしまえば、起こされた人は死んでしまうか、それとも白痴になってしまう。同様にして、眠りながら泣いている赤坊も起こしてはならない。
久保寺の報告にはなかったが、やはり霊魂の永久離脱も死と捉えられているのが分かる。それにしても、いろんな種族の「起こさない作法」は優しい。
他界への道行きの準備の場所は、「集落の近くにある洞穴」。他界における霊魂は、現世に再生する機会を待つ。
子供の誕生は、彼らにとっては、子供が男なら父系の、女なら母系の死んだ成員がこの世にもどって来たことを意味している。
アイヌにも再生信仰がある。「死者は他界においては人間の形をとって生活している。しかし再生する者は、目に見えない霊魂に変容される。こうして霊魂は、守護精霊もろともに妊婦の子宮に入ることができる」。
他界での局面、再生する局面での形態について仔細になるのは、アイヌらしいと思う。守護精霊は、誰でも持つのではない、と注釈されている。
大林は、アイヌの霊魂が一つなのにことさらに驚いてみせている。霊魂二元論は「世界的に広く分布している観念なのである」、と。けれど、その数や態様が種族によりさまざまでありうるのは、「霊魂協奏曲」で見てきた通りだ。そもそも厳密には「霊魂」は一つを基本にしている。霊魂が概念として成立したとき、「霊力」も霊魂化されて捉えられたので、二つとして現象したのだ。あとは霊魂思考の強度により、語られる内実が異なってくる。アイヌの場合は、霊魂思考の度合いが強いのだ。
大林は、アイヌの霊魂観が北方の種族との類似を見せることから、「霊魂は一つだという観念は、複数の霊魂が一つに融合した結果生じたらしい」と書いている。確かにアイヌの霊魂観や守護精霊の存在は、北方のシャーマニズムを思い出させる。しかし、北方のシャーマンの入巫における肉体の改造や再生しうるという観念に見られるように霊力思考は潜在化している。融合というより、霊力の度合いが低く潜在化しているのだ。
アイヌは、土地への定着化とともに霊魂思考を駆動させていった。けれど、洞穴の伝承や、他界と現世を自由に行き来できるとしているので、死と生が移行にある段階の思考も多く残している。