山崎幸治は、久保寺逸彦の「北海道アイヌの葬制 : 沙流アイヌを中心として」等の資料に基づきながら、「十九世紀前半頃の北海道アイヌ」に照準して霊魂観を概観している。
霊魂の機能は三つに分けられる。
1.個々の霊魂は、一人の人間、一匹の動物、一個の品物の形態や性別を決定するだけの能力しかない。ただ、この霊魂が体外に出ることは死を意味する。
2.「憑き神」と呼ばれる、一人の人間に附着する霊魂。先天的なものと後天的なものがある。先天的な「憑き神」は一生を共にする。巫術の能力も先天的。後天的なものは、病気が完治するまで生命の安全についてもらう。因果関係をもとに加害する憑き神、因果関係がないのに加害する憑き神。
3.集団につく霊魂。先天的なものは、「家系の祖である祖先神と過去に故人となった祖先霊」。祖先神は、「ヒグマ、キツネ、シャチ、サケ、ワシなどの動物神」、「火や雷などの自然現象や病」。後天的なものは、村全体を守護する神、集落内の一家を守護する神、病や天災などを回避する神。
ここでいう「憑き神」は、大林太良の整理では「守護精霊」と書かれていたものに該当する(cf.「「アイヌの霊魂観」(大林太良)」)。
「カムイ」というアイヌ語は、自らの生活と切っても切れない関係にあり、かつ、人間が素手で立ち向かえないものに対して与えられた概念であり、「霊魂」とは次元をややことにする(後略)。
カムイがアイヌモシㇼを訪れる際には、動植物や自然現象、道具などに姿を変えて人間の前に現れる。
あの世が存在する場所は、「天上」にあるという地域と「地下」にあるという地域があるとされる。いずれも、あの世には複数の階層が存在し、この世の行いの善し悪しによってどの階層に住むかが決まってくる。
あの世が「天上」にあると考える地域では、良い人間は天上にある国に住む一方で、この世で悪行を働いた人間は、地下にある不快な場所の住人となる。一方、あの世が「地下」にあると考える地域では、良い人間が住む「あの世」は、地下であってもアイヌモシㇼ同様に光明明媚な美しい場所とされる。そして悪行を働いた人間は、さらに地下深くにあるテイネモシㇼなどと呼ばれる暗くジメジメした土地に住むことになる。ジメジメした土地の住人は、上の階層に住む住人よりもこの世での再生が困難とされる。
これは久保寺の報告からは得られなかった、もしくはぼくが読み間違った知見だ。これを見ると、他界は天上界と地下が対置される場合と、地下だけの場合があることになる。天上と地下の対置の場合、生前の行いによってどちらかが決まるので、この点が、社会階級によって決まるポリネシアと違っている。
では、死者がどのようにして「あの世」へ行くのかといえば、その経路など充分に分かっていないことも多いが、洞窟のようなトンネル状のなかを歩いていくと考えられている。知里真志保・山田秀三「あの世の入り口-いわゆる地獄穴について-」によれば、アフンルパㇻ、オマンルパㇻなどと呼ばれる「あの世の入り口」は、洞窟や窪地などとして村落近くに実在し、その周辺への立ち入りは厳しく禁止されている。
ここからは、アイヌの霊魂自体は、霊魂思考が強いが、霊力的な側面を、憑き神に預けているように見える。それは、カムイと霊力豊かに表象されている。