何の証拠を持ち出さなくても、島や島人や自分の身体性に問うかぎり、琉球弧に国家をつくる必然性はなかっただろうと、ぼくは思い込んでいる。それだから、吉成直樹が、『琉球史を問い直す―古琉球時代論』でも展開している、「内的発展」のみでは琉球王国の成立は説明できないとする論旨は、その通りと思えるもので、『琉球の成立』のときと同様、今後の展開が楽しみだ。
ある意味では、中国の巨大な文明の圧迫に抗するように日本国がつくられたように、中国や日本の圧迫を前に琉球国がつくられたのは、似ているのだろう。
ただ、「倭寇が樹立した」のが琉球国だとしたら、いまだに国家をつくった勢力が何者か分からない日本に比べて、すっきりするのは、琉球弧のメリットではないだろうか。
『琉球史を問い直す―古琉球時代論』を読みながら、ふと、それは未来構想の立てやすさにつながるという感触を覚えた。