琉球弧における「蛇」の位相について、谷川健一の『蛇―不死と再生の民俗』をテキストに辿っていく。古代の思考を見たいので、龍にまつわるものは割愛する。
谷川が書いているものを、系列ごとに再編集し、メモを加えることにする。
1.トーテム
・奄美における蛇。
ハブはウナギが変化したものという伝承も南島にはある。というのも、ウナギは夜になると陸にあがって餌を求めるからだ。こうしたこともあって、奄美では鰻を食べないという風習が強いことを登山修は報告している。
原典は確かめてみないといけないけれど、トーテムを示しものとしては分かりやすい例だ。
・.蛇=鰻=ウツボ=海蛇
ウツボ、ウナギ、ハモ、ウミヘビは呼称を共有し、交換しあっている。
また、背景として、蛇=鰻という南太平洋と同じ変換も見られる。
・祖先としての鮫
宮古島を統一した仲宗根豊見親玄雅。鮫に助けられる。「子孫は今もって鮫の肉を口にすることはいっさいない」。伊良部島の鮫退治の話。この鮫は実際は、ウツボのことで退治も「後世の府会」で縁起譚のひとつ。両者ともに鮫やウツボを先祖としたということ。
鮫に助かられた説話はこのまま受け取っていい。谷川は、鮫退治の話を、実は鮫ではなくウツボで、しかも祖先と見なすという解釈をしているが、谷川の解釈を保留すれば、鮫退治と鮫に助けられることとはまるで違うので、この説話は退けておく。
だから、『「物言う魚」たち―鰻・蛇の南島神話』での類型でいえば、「鰐」類型でのトーテムになる。
・祖神としての蛇
宮古島狩俣で行われる祖神(うやがん)祭。神女たちは、蔓草を八回巻き、カウスと呼ばれる被り物にする。これは、「蛇がトグロを巻いているさまをあわらわしたものと狩俣で言われている」。帯に巻く蔓草も「蛇のシンボル」と言われている。これらは、狩俣の祖神が「青スバの真王」、つまり蛇であるという伝承に由来する。
神化された蛇。
・蛇の入墨(『魏志倭人伝』の記述から)
(漁夫たちは)鮫や海蛇に襲われないためのまじないに、その肌にはあざやかな入墨が入れてある。
これは直接的に琉球弧を示したものではないが、可能性として入れておく。入墨の根拠として、「鮫や海蛇に襲われないため」としているが、アマムの入墨と同じだとみなせば、その子孫であることを示すための入墨だと見なせる。
・蛇婿のヴァリアント。
ある女が妙に腹の具合が悪いので古仁屋に出て医者の診療を受けたが、医者もしかと診断ができず、女は帰ったが、家に着くなり、ソーケ(笊)一杯もあるとおもわっるほど、たくさんの蛇の子をぞろぞろ生んだ(金久正)。
「蛇」と結婚するということと、「蛇」を産むこととは位相が異なる。後者は共同幻想を産んでしまうことだからだ。これは、共同幻想と対幻想の対象とし、自らを共同幻想と同一視する祝女の観念と同位相にあるものではないだろうか。トーテムとしてはかなり弱まっている。
2..依り代。憑依のための媒介物。
・勝坂式土器と一緒に出土した縄文中期の女性土偶。とぐろをまいたマムシを頭にいただいている。谷川は、この土偶と金久正の記述を同一視し、巫女の出現を見ている。
昔の呪女(のろ)神は、よく波布(ハブ-引用者)を制し、アヤナギを這わすといってアラボレ(十五、六才の娘らよりなる、呪女の従者)たちの頭髪に波布を巻きつけたという。(p.258『奄美に生きる日本古代文化』金久正)
また、合わせて石垣島からの聞き取りを併記。
川平の群星御嶽(ゆぶしいおん)に各御嶽の神女(ツカサ)があつまって神遊びをした。ハブを手のひらにのせて次々に手渡しながら、心のよしあしをさだめる儀式である。心のわるいツカサのときはハブは首をもたげ、信仰を守るツカサの場合は、ハブは眠ったように、おとなしくなるといわれたという(p.12『蛇: 不死と再生の民俗』)
頭上にマムシを巻いた縄文中期の女性土偶と頭髪にハブを巻きつけたアラボレを結びつけたことは、谷川が自分の手柄だとして本書でも強調していることだ。谷川はこれを「神観念の黎明を告げるもの」としているが、巫覡の誕生はそのまま神観念はつながらないと思える。
3.精霊
・宮古島狩俣の大城御嶽にまつわる伝承。蛇婿。「山の精霊である大蛇が娘の父親である」。
蛇婿の観念とは別に、「山の精霊」であると見なすのは古層に属する。
・.蛇=虹、蛇=雷
奄美大島では蛇と雷の同一視がもっと端的に表現されている。雷のことを奄美大島の瀬戸内町では、ティングロジャ(天の大蛇)とか、単にグロジャ(大蛇)と呼んでいると、登山修は報告している。(『奄美民俗の研究』)。
・.蛇と虹の同一視。八重山では、虹をアミニヌミヤーという。「雨を呑むもの」の意、つまり、蛇を指す。
同様に、蛇が虹や雷とも同一視された。これは古層に属すると思う。
4.死の起源
死の起源が、蛇との対比で語られる。
節祭(シツ)の夕には蛇より先に人が若水を浴びて居ったから、人が若返り、蛇は若返らずに居った。処がある年、蛇にまけて人が後で若水を浴びたから、蛇が若返り人は若返らぬ様になったといふ(富盛寛卓)。
むかしむかし節祭(シツ)の夕に天から水を下ろして下されたら「人から先に浴びろ」との事でしたが、人間がまけて蛇が先になって浴びたので、人間は仕方なしに手と足とを洗った。だから爪だけがいくらぬいても、つぎからつぎへと生えて来るのである。蛇は死んでもどんどん蘇生してゆけるのである(垣花春綱、『月と不死』)。
cf.「脱皮論 メモ」
死の起源が、蛇とともに語られるのは、「蛇」の古さをよく物語る。この場合の死の起源は、脱皮と人間のうっかりによるものだ。
「脱皮+うっかり」は、台湾のタイヤル族にもみられる。他には、イリアン・ジャヤのモイ族、ニューヘブリデス諸島。
その他を挙げてみれば、
「うっかり」(インドネシアのトラジャ族)
「脱皮+死体化生」(ボルネオのドゥスン族)
「脱皮+近親相姦のタブー」(ビスマルク諸島のタンガ島、ニューヘブリデス諸島)
「脱皮+近親相姦」(ポリネシアのニウエ島) 近親相姦が死の起源
「性の喜びの発見」(パプア・ニューギニア高地、ミクロネシアのヤップ島)
「正常な出産」(ソロモン諸島、ニュージーランドのマオリ族)
「排便を覚える+作物起源」(ニューギニア高地)
(cf.『「物言う魚」たち』、『南島の神話』
。ともに後藤明)
これらの死の起源伝承には、人間の文化の発祥とセットで語られている。言い換えれば、自然との別れと背中合わせだ。なかでも、「うっかり」型には、自分たちは動物よりも劣っているという自覚があるように見える。それは死の起源譚の古さを物語るのではないだろうか。
蛇の話に戻れば、蛇がトーテムであった痕跡は認められるが、それ以上に、アマム(ヤドカリ)に比べて、蛇は広く深い。