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「ことばの誕生」(森山公夫)

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 森山公夫の連載、「互酬性・アニミズム・シャーマニズム・トーテミズム」は、いま探究している琉球弧の精神史というテーマとぴったり重なるので、興味深い。今回の「ことばの誕生」(『精神医療 77号 特集:精神科病棟転換型居住系施設の争点』)もまさにそうだった。

 森山は書いている。「聖」も「共同体」もことばと共に生まれた。共同体がことばを持つことにより、共同体は初めて真の意味で共同体となり、氏族制度の発端、文化の発端が生起した。共同体は神話としてことばを持ったのみでなく、それ自体が名前を持った。こうした機微を明確に示しているのがトーテミズムだ。氏族共同体・聖なるもの・名前の三者は一体として成立している。

 J.E.ハリソンは、未開の社会の「動物踊り」は、獣も鳥も魚も人間の「小さな兄弟」であることを信じていた時に発生し、人が自分とカンガルーとは違うと悟り始めて初めて、「彼は昔の信仰、昔のあの仲間であることおよび一つであることの感覚を意識的模倣によって蘇らせようと務めるのである」と書く。

 わたしたちはここにもあの「楽園喪失」の神話が生きていることを知る。トーテミズムに生きる人々もすでに自分たちがカンガルーと基本的に異なることを知っていたであろう。だが彼らは、かつて生きていた自然の世界、カンガルーと同等だった楽園の世界に執着した。彼らが「カンガルー」と名乗り、同時に動物とカンガルーのその名を公認し、彼らと仲間であることを宣言した。こうして名「カンガルー」は「仲間・一体=同一性」という観念の世界を開いた。名前の確立はことばの確立だった。

 これは、ぼくたちが、トーテミズムは、人間が動植物や自然物と、人間を区別した上での同一化の思考と捉えることと重なっている。

 村瀬学は、乳幼児のことばの成立を三つの段階に分けている。

 1.ふたつの現象が似ているという事態への着目;類似同定(1~1歳半)
 2.ふたつの現象が規範=約定として同一であるという事態への着目;「指示同一」(2~2歳半)
 3.二つの現象が構成として同一であるという事態への着目;「厚生同一=変形同一」(2歳半~4歳半)

 2は、乗るモノを「ブーブー」と呼べるようになる段階。3になって、類似のなかから典型を抽象し、それを代表型としてそれとの異同を決定する段階になる。これは幾何学の誕生であり、人類史的には「農耕社会以降の出来事」だ。

 また、2の段階におけることばの自立とともに、「ひとは「目の前にないものを見る」ことができるようになる」。

 これは、目に見えないものを見ることができるようになる。不可視の概念を捉えるようになるというのと同じことだと思う。

 レヴィ・ブリュルは、「わたしはインコである」という矛盾律や同一律では表現不可能なことを、未開の心性として「融即律」となづけたが、いま改めて「類似同一性」の視点から捉え返すことができる。

 概念と心像は相補的な関係にあるが、原初の狩猟・採取の時代は、思考が主として心像に依拠し、類的同定の方法に従っていたと考えられる。それが前論理的、神話的、魔術的と言われたことの内実だ。

農耕時代に入ってから、種をまき、実がなり、刈り取る、という生活様式に合わせて、人間の思考様式は大きく変わった。いわば因果律とか目的因とか、目的・原因・結果という時系列に沿った思考が中心になっていった。

 心像と概念の相補関係を、ぼくたちは霊力思考と霊魂思考の織物として言うことができる。森山の考察を受ければ、霊力思考とは、ふたつの現象の間に似ているものを見出して象徴化する思考であり、霊魂思考は影や水に映った映像を霊魂と見なすような概念化する思考だと言うことができる。

 また、琉球弧では、霊魂思考は農耕時代に入ってからではなく、定着による死者との共存のなかで、前面化し、死霊や霊魂の観念を生み出していったと考えられる。


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