「互酬性・アニミズム・シャーマニズム・トーテミズム」
森山公夫が、「互酬性・アニミズム・シャーマニズム・トーテミズム」(雑誌「精神医療」に連載)で示している考えを図示しておく。 楽園追放とともにシャーマニズムが発生。脱魂と憑依を行う。通過儀礼としてのイニシエーションは、シャーマンの入巫を手本としている。...
View Article『母系社会のエディプス』
母系社会にエディプス・コンプレックスはない、というマリノフスキーの主張の当否を確かめたいからではなく、マリノフスキーの言説がどのように議論されているのかに関心があって、『母系社会のエディプス―フロイト理論は普遍的か』を読んだ。...
View Article『はじめての社内起業』
企業に勤めていた頃、後半の10年くらいは、新規事業の立ち上げに携わることが多かったので、石川明の『はじめての社内起業』は、当時を振り返るよい機会になった。...
View Article「ことばの誕生」(森山公夫)
森山公夫の連載、「互酬性・アニミズム・シャーマニズム・トーテミズム」は、いま探究している琉球弧の精神史というテーマとぴったり重なるので、興味深い。今回の「ことばの誕生」(『精神医療 77号 特集:精神科病棟転換型居住系施設の争点』)もまさにそうだった。...
View Article『神話と夢想と秘儀』(エリアーデ)
ミルチア・エリアーデの『神話と夢想と秘儀』で考えてみたいのは、死と不死のことについてだ。原始人においてわれわれが調査しうる《不死性》についての諸観念はすべて-文明化された人々における場合とまったく同様に-前もっての死を含んでいる。つまり死後の精神的な《不死性》ということがつねに問題なのだ(p.95)。...
View Articleアマム図形
琉球弧では、アマムをどのような形態として認識していただろうか。それを見るのに、入墨は最適だ。アマム図形については、小原一夫の『南嶋入墨考』がよく引用される。...
View Article『歌とシャーマン』
福寛美の『歌とシャーマン』(2015年)で気づかされて、酒井正子の『奄美・沖縄 哭きうたの民族誌』(2005年)に該当箇所を探してみた。 徳之島の島唄、「二上がり節」だ。...
View Article『メラネシアの位階階梯制社会』(序)
大著の序文だけ取り上げるのは著者に申し訳ないが、現状の自分の知見が及ぶ範囲ということでそうさせてもらう。 ぼくにとってありがたかった記述はここだ。...
View Article珊瑚礁の思考
死を生からの移行として捉えた後、死者との共存に矛盾をきたすようになると、死者の居場所である他界は空間化される。その時、死者の空間の入口にいなったのは、琉球弧の場合、洞窟だった。洞窟を通じて、死者は他界へと赴く。洞窟の奥のくびれのような構造を通って、他界は開かれていく。...
View Article『世界言語のなかの日本語』
松本克己の議論が興味深い。日本語は弥生時代に稲作文化とともにもたらされたとする考え方があるが、弥生時代の始まりである2300年ほど前というのは、言語の歴史にとっては浅い時間幅にすぎない。日本語のルーツは、縄文の過去に遡るとみなければならない。...
View Article『日本的霊性』
琉球弧の精神史を追っていて、『日本的霊性』を読むことになるとは思ってみなかったが、鈴木大拙にしても、「日本精神史」というモチーフを抱いていたのだから自然なのかもしれない。 霊性に目覚めなければならない。「精神は分別意識を基礎としているが、霊性は無分別智である」。無分別智。分節して世界を捉えることを止めるということだと思う。すると、モノ同士がつながった世界がやってくるはずだ。...
View Article呪術師・シャーマン・巫覡
粗雑さは免れがたいけど、シャーマンについて整理しておきたい。霊力と霊魂の技術者としてシャーマンと総称するが、それぞれについては呼称を変える。 呪術師:霊力の技術者(オーストラリア、アボリジニ) シャーマン:霊魂の技術者(北方アジア) 巫覡:霊力、霊魂混融の技術者(東南アジア)...
View Article『しまくとぅばの課外授業』
石崎博志の『しまくとぅばの課外授業』(2015年)は、コラム集の装いをしているけれど、なかなかハードですらすらと軽く読み進められる本ではない。 ぼくも地名に興味があるので、そこを取っかかりにすることにして、「保栄茂(ビン)」のコラムを見る。 『海東諸国紀』(1501年)の発音体系に照らすと、「保栄茂」は、ポエモ[poemo]だったと考えられる。 『おもろさうし』では、「ほゑむ」と表記されているが、...
View Article『日本列島人の歴史』
この本の面白さは、なんといっても時代区分の名称だと思う。 これによって、世界史的な段階は見えにくくなるものの、政治的な中心地を名称の根拠にすることで、列島の重心移動の時代変化が分かりやくなる。なにより、縄文期以前を「ヤポネシア時代」としたことで、琉球弧の側からみても、本土との歴史の違いが掴みやすい。ぼくが琉球弧の精神史を探究するなかで見えてきたのも、ヤポネシアだった。...
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