松本克己の議論が興味深い。日本語は弥生時代に稲作文化とともにもたらされたとする考え方があるが、弥生時代の始まりである2300年ほど前というのは、言語の歴史にとっては浅い時間幅にすぎない。日本語のルーツは、縄文の過去に遡るとみなければならない。
日本語の系統は不明だと言われる。世界には日本語のように語族のはっきりしない言語が存在する。それは、新石器時代以降に発達した人類の主要な文明の中心地から隔たった周辺地域か、あるいは地理的に周囲から隔絶した孤立地域だ。
大きな語族を形成した言語というのは、今から5~6千年前に始まった人類史上の"文明時代"に、旧属に勢力を拡張したいわば新興の言語であり、一方、系統関係の定かでない言語というのは、これらの信仰言語によって辺境に押しやられるか、あるいはそれらの勢力の及ばない隔離された地域に孤立して生き残り、従ってまた、これらの大きな語族が形成される以前の古い言語層に遡る言語と見ることができるだろう。(『世界言語のなかの日本語』)
現在の日本語は、弥生時代に指導的な役割を演じた種族ないし部族の言語が、西日本を中心にかなり急速に列島内に拡散したものだと思われる。
しかし、それは決して外部からもたらされたものではなく、縄文時代以来この列島内で行われた数多くの言語のひとつだと見てよいだろう。
たとえば、日本語では、ラ行のl音とr音を区別しないが、多くの言語に見られ、しかも地理的に著しく偏っている。それは、ユーラシアの太平洋沿岸部から、ニューギニア、ポリネシア、そして南北アメリカ大陸にわたって分布し、地理的に限られた、しかし明らかにひとつの連続した圏を構成している。環太平洋的なのだ。これは言語の古い残存地域に見られるから、古い言語特徴の名残りと見なければならない。
こうした手がかりから松本は、語族を越えた大きな言語圏として、ユーラシア内陸言語圏と太平洋沿岸言語圏を抽出している。そして、「太平洋沿岸言語圏」は、オーストロネシア語族を含む南方群(オーストリック大語族)と、朝鮮語、アイヌ語、日本語、ギリヤーク語を含む北方群(環日本海諸語)に分けている。「日本語は紛れもなく環日本海諸語の一員として位置づけられる」。
日本語の系統は、朝鮮語、アイヌ語、ギリヤーク語など日本海域周辺の諸言語のそれと切り離して考えることはできない。これらの言語は、比較言語の及ばないもっと根の深いところでつながっている可能性があるからである。
とても広々として気持ちのいい議論だと思う。