福寛美の『歌とシャーマン』(2015年)で気づかされて、酒井正子の『奄美・沖縄 哭きうたの民族誌』
(2005年)に該当箇所を探してみた。
徳之島の島唄、「二上がり節」だ。
ところで《二上がり節》は「トゥギ歌」とも呼ばれ、治る見込みのない病人のトゥギ(付き添い)で一晩じゅう掛け合わされた。昔は重病人は為すすべもなく、ひと月、ふた月と家で寝る。その看病のために大勢の人が集まり、家がいっぱいになった。看病の人が眠ると「病人がいけなくなる(絶命する)」といい、夜どおし賑やかに歌をうたう。病人も歌をせがみ、サンシル(三味線)の音を聴くと子守歌のように苦痛がやわらいで安らかに眠れたという。
この箇所だ。ぼくが注目するのは、「看病の人が眠ると「病人がいけなくなる(絶命する)」」ということが、死の前後の「霊力の転移」の一局面を指すからだ。ここで気づかされるのは、歌が「霊力の転移」の重要な媒介をなしていることだ。(cf.「殉死・食人・添い寝」)
みてきたように南西諸島の神歌や島唄には生死や神の世界の境界を越える力がある、とされていました。(『歌とシャーマン』)
盆踊りの歌は死者も聴いている。だから一緒に踊れる、ということだ。また、歌は生と死の分離の「移行」の段階以降には、移行をなだらかにし、また「この世」と「あの世」をつばぐ媒介の役割を果たしてきたようだ。
歌には人の心を慰め、高揚させ、命を延ばす力がある、とみなされていました。この力は歌の影響力、感動を呼び覚ます力、などと言われます。それはもちろんそうですが、筆者にはその力が霊力のように思えます。
その通りだと思う。また、ここで言われる「霊力」は、ぼくたちの文脈でいう「霊力」ともぴったり重なる。心の発露としての霊力だ。
『歌とシャーマン』は、巫性の悲劇として描かれることが、藤圭子への供養になっていると思えた。歌い続けることで悲劇を免れた人として、ぼくは中島みゆきを思い浮かべた。