町誌の追補に向けた文章のための「針突き」メモ。
ハズチ(喜界島、徳之島)、ハズキ(大島)、ハンジチ(沖永良部島)、パンジキ(与論島)、ハジチ(沖縄)、ハイズツ(池間島)、ピズツク(宮古島)、パズツク(多良間島)、パイツキ(水納島)、テイツク(八重山)、パルツク(黒島)。
指輪のたかみ
指している間のかたみ
我手にある入墨
あの世までも(那覇)
入墨は年齢とともに場所を増やし、また大きくした。沖縄島では、61才になると手の甲、茎状突起部を大きくする。ティナァーと呼んだ。
メモ。これは後生との近さを意味するものだったかもしれない。つまり「あの世」行きの準備。
入墨をするときは先ず台の上に女の手をのせ、針を三本或は七本そろえて束とし、入墨用の香り高い墨をすって、針の先につけ入墨する文様を予め画いて、その上を墨をつけた針束で突いた。
島々の施術者が南島を通じて女であったということは注意すべきである。
入墨をしたときの傷は約二週間で全治し、表皮がはげると水草の花に見るような美事な青色の文様が浮出してくる。
その始まる前と、終った後に親戚や友人の女たちが集まってきて、盛大な祝いを行う(中略)。男子はこれに出席せず、女たちのみで祝をする(後略)。
入墨がなければ、死後往生ができず、死霊が迷う。そこで、後生で迷わず成仏できるように入墨した。まだ未だ入墨していない乙女が若いうちに死ぬと、その手にあたかも入墨していたかのように入墨文様を書いて後、葬ったものであるという。
タブーとして、
・入墨の傷が治らないうちに葬儀を見てはならないし、その家に行ってもならない。
・入墨の傷の治らないうちに、妊娠した女性を見てはならない。
メモ。どちらも入墨が「霊魂」に関わっていることを示している。両者ともに、死者やこれから生れる子に霊魂を持って行かれないようにと考えられたものだ。
右手茎状突起部。沖縄島では「五つ星」と呼ばれる。
左手形状突起部。アマム(沖永良部島)
指の背の線主体のデザインについて、与論島では、後生に行くためには必ず備うべきもので針路を示す一種の記号として用いられている。四角形主体の図は、左手手首の内面にあるもので、後生の門で、先祖に調べられ、このしるしのある者は門に入れてもらえるが、無いものは入れてもらえないと言われている。
以上は、小原一夫『南嶋入墨考』から。
昭和五十年代(一九八〇年頃)では、奄美群島では消滅。
メモ。これはそんなことはない。少なくとも昭和の終わり前後まではしていたはずだ。
右手茎状突起部。イチチブシ(五つ星・久米島)。クデーマー(八重山)
左手茎状突起部。アマンム(宿かり蟹・久米島)、朝日(名護)、まるぶし(久米島)
茎状突起部(宮古島)。タカゼン(高膳)、トウヌピサ(鳥の足)、カザマーラ(風車)、アオヤッダ(アオヒトデ)
手首(宮古島)。オミス(お箸)、ニギリメシ(握飯)。カン(蟹)
指。ウミヌホウミブシ(海の女陰星・那覇)、ウミヌグジュマ(ひざら貝、国頭)
指の付け根。三角。ホーミ(女陰・国頭)、楕円。グジュマ(ひざら貝・国頭)
背。オオジガタ(扇形・久米島)。チキンガナシ(お月様・八重山)
宮古の点の文様。ウマレバン。
阿嘉島の女性。明治14年生まれの女性の母は、生涯六回施術。「文様は骨まで染まっているはずだと自慢していた」。
与論島の入墨師は伊平屋島から来ていた(与論島出身の栄喜久談)。しかも男性。
以上は、市川重治の『南島針突紀行沖縄婦人の入墨を見る』から。