祝女・聞得大君・天皇
明治40年頃、当時12、3才の、島せんこあけしののろの継承祭儀。 11時頃、御嶽に到着。 「水撫で」。神前に供えた水を四回、祝女の額につける。 「神霊(せじ)づけ」。洗米を三粒程つまんで頭にのせながら、「島せんこあけしののろ」と神名を唱える。 「神酒もり」。神酒を神前に注ぎ、残りを祝女に供する。神人も供する。 2時頃まで、オモイを唄う。...
View Article添寝論 メモ
死者に対して近親者が添い寝をしたという習俗には強い関心をそそられる。長門の大島などでは、死者の傍らで夜伽をすることを添寝と謂って居る。事実女房や娘は死者の傍に寝たのであろう。さいういふ実際の例が日本でも稀にはあった様に記憶するが、今たしかな出処を挙げられない(「葬制沿革史料」)。...
View Article加藤典洋×高橋源一郎
昨日、三省堂書店本店で、加藤典洋と高橋源一郎のトークセッションが行われた。加藤の『人類が永遠に続くのではないとしたら』の刊行を記念したイベントだ。二人が出した『吉本隆明がぼくたちに遺したもの』は、昨年最も昂奮して読んだ一冊だったので、二人の対話は楽しみだった。...
View Article殯(もがり)
死者は、草屋根の小屋を建てて喪屋とし、殯をした。死者を見守るのである。何を見守っていたのか。 墓制が敷かれた後、死後の翌日や三日目に墓参が行われる。ナァチャミ(慰み)と呼び、葬宴を開くことから、死者の慰みと解されるが、酒井卯作はそこに死の確認が行われたのだと主張している。...
View Articleマブイ別し
死の臨床は、モノ追いでは終わらない。悪霊を払った後、一定期間を置いて(酒井はこれを五十日前後が元で、人間が骨化する期間とみなしている)、マブイ別し、霊魂の移行を行わなければならない。それを行うのはユタである。...
View Article琉球弧の死の三角形
折口信夫が言うように、「生と死の区別がはっきりしては居なかった」、「生死が訣らなかつた」のである。しかし、これは、現在ははっきりしているという意味ではない。今はいまで、専門家は脳死を死であると見なし、ぼくたちは医者の「ご臨終です」のひと言をその合図と見なすような、中途半端な割り切りをしているに過ぎないといえば言える。...
View Article予兆と添い寝
琉球弧の島人は、死にどのように対して来たのだろう。 それはまず、死の予兆から始まっている。 予兆 鳥が屋内に迷い込むこと、特に仏壇に入るのは大事になった。このときは、自宅のみえない場所や海辺近くで外泊し、難をさらしてから家に戻った。難がさったかどうかを判断する行為もある。...
View Article『暴露:スノーデンが私に託したファイル』
この本を読みながら、特定秘密保護法が施行されて10年くらい経った日本を舞台にして描かれた近未来の小説のように感じる瞬間があった。もちろん『暴露:スノーデンが私に託したファイル』(グレン・グリーンウォルド)は、そうではなく、ノン・フィクションであり、かつ歴史が片をつけた後に、英雄譚として書かれたものでもなく、現在進行形の問題を取り上げたものだ。...
View Article家を焼く
村上春樹の「納屋を焼く」は、人殺しを含意した作品だけれど、「家を焼く」は文字通り、人が死んだ時にその家を焼くということ。 主婦は家の柱だから、主婦の死には葬式のあとでその家を焼くという。炉をしょわせるともいう。戸主である男性の死にも家を焼くという例もあるが、後の変化のように思われた(p.160『女の民俗誌―そのけがれと神秘』)。...
View Article遷居葬の分布
酒井卯作が『琉球列島における死霊祭祀の構造』において、琉球弧のなかの痕跡を丹念に辿っていた「遷居葬」は、棚瀬襄爾(じょうじ)の『他界観念の原始形態―オセアニアを中心として』を見ると、オセアニアでその例を豊富に見出すことができる。...
View Articleゴジラよ、ふたたび日本だ。
加藤典洋が言うように、1998年にニューヨークがゴジラに襲われたのは、アメリカ人の原水爆使用に対する「後ろめたさ」が呼び寄せたものだとしたら、2014年のゴジラ(『GODZILA』)では、水爆実験は、ゴジラを倒すためのものだったと、冒頭で解説されて肩すかしを喰らう。というか、正当化をするつもりかと、反発心が起きそうになった。...
View Article洞窟葬の分布
琉球弧で広く行われてきた洞窟葬の事例は、南太平洋では少ない。棚瀬襄爾(『他界観念の原始形態―オセアニアを中心として』)も、「独自の葬法であるよりも、主として呪術宗教的観念から骨をかくすために行われる例が多く(中略)、正葬と見ることはできないように思われる(p.452)」としている。...
View Article霊魂の段階
棚瀬襄爾の『他界観念の原始形態―オセアニアを中心として』を手がかりに、霊魂の像化の段階を考えてみる。1.身体と霊魂の像の二重化が起きる。身体とは分離しない。霊魂の像はしばしば「影」と呼ばれる。 2.霊魂の像が、形態を持ち始める。「夢」で交信する。ここで、霊魂は遊離するという観念が生まれる。 3.霊魂の人間化が進み、身体からの霊魂の去就が生死と結びつけられる。他界が発生する。...
View Article埋葬と死穢
棚瀬襄爾は、『他界観念の原始形態―オセアニアを中心として』において、重要な結論を導き出している。それは、台上葬や樹上葬においては死穢の観念が見られないこと。死穢の観念があるのは、埋葬においてであり、ことに坐埋葬において強いということだ。埋葬と死穢がつながるのはどこかで聞いたこともあるような気もするが、改めて提示されると驚いてしまった。...
View Articleオセアニアの他界観念一覧
備忘として、棚瀬襄爾の『他界観念の原始形態―オセアニアを中心として』の結語を一覧化しておく。 ぼくの関心時は本書であまり追求されていない洞窟葬の位置づけだ。それは、地質条件からくるやむざる形態だったのか、それとも単純埋葬とつながりうるものか。 もうひとつは、酒井卯作の挙げる「野ざらし」が非埋葬につながるものかどうか。言い換えれば、琉球弧において無他界の段階を想定できるか、ということだ。
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