久米島大原貝塚A地点のゴホウラ 2
ゴホウラ貝溜まりが出ているのはⅢ層と見なせる。 この貝層は、Ⅱ層と同様、ツノメガニだ。(『大原:久米島大原貝塚群発掘調査報告告』) 報告書の画像からは、このゴホウラがツノメガニの鋏を示しているのがよく分かる。
View Article具志川島岩立遺跡西区の位相
具志川島岩立遺跡の各層について、メタモルフォーゼの位相を探ってみる。 24層 壁際にふたつの焼石遺構。凹状かマウントかは記述がないが、画像からは凹状に見える。貝の構成は明らかに苧麻貝だから、チョウセンサザエとしての苧麻貝を送ったように見える。 12層 チョウセンサザエと蓋としての苧麻人。 イヘヤタメトモマイマイを送る。蓋を送り、蓋を迎える。 9層 イヘヤタメトモマイマイとしての苧麻人。...
View Article具志川島岩立遺跡西区人骨の位相
まず、12層で出現するチョウセンサザエの蓋収集を見てみる。チョウセンサザエの殻は、破片で散らばっている。(『具志川島遺跡群』) 蓋は、焼けていない白色と褐色に焼けているもの、黒-灰色に焼けたものに分かれている。 これは苧麻トーテム段階で、色のついたものが取れると、白い色になる貝が苧麻の化身態と捉えられたのと位相同型をなすと思える。たとえば、シレナシジミ、ソメワケグリ、イソハマグリだ。...
View Article具志川島岩立遺跡西区5B層の人骨と貝
5B層で出土した人骨と集骨個所の貝とを対応させてみる。調査ではこの人骨は、(男性:6、女性:3、小児:1.、幼児:1)ということが分かっている。 女性貝(1人当り) 1.アマオブネ(1個+α) 2.タカラガイ(完形か殻頂で、2個) 3.マガキガイ(完形か破片) 4.ムカシタモト、フトスジムカシタモト(完形か殻頂+α、あるいはマガキガイと同じ考え方かもしれない) 5.チョウセンサザエ(破片20)...
View Article宮古島アラフ遺跡の遺構1
宮古島アラフ遺跡のⅤc層からⅣb層までの遺構を並べてみる。(『アラフ遺跡調査研究Ⅰ』より抜粋) これは何を示しているのか。各層を重ねてみる。 こうしてみると分かるのは、これがアラフ遺跡のある新城海岸沖のサンゴ礁であるということだ。...
View Article宮古島アラフ遺跡の遺構2
Ⅳc層にはいくつかの集石が見られる。 このうち、円礫のみで構成される23号集石は、「スデルわたしたち」というメタモルフォーゼの場と考えられる。 この23号集石の近くには、4点の貝斧と1点の枝サンゴが寄せられていた。(「沖縄考古学ニュース - 沖縄県立博物館・美術館」2009)...
View Article宮古島アラフ遺跡の遺構3
アラフ遺跡から出土した貝斧は、それぞれの貝と部位が調べられている。(「沖縄考古学ニュース - 沖縄県立博物館・美術館」2009)1 ヒレジャコの右殻放射肋。2 オオジャコあるいはヒレナシジャコの右殻後背縁部(ちょうつがい部)3 オオジャコあるいはヒレナシジャコの放射肋部。4 オオジャコあるいはヒレナシジャコの左殻後背縁部(ちょうつがい部)(『アラフ遺跡調査研究Ⅱ』)...
View Article喜界島崩リ遺跡の遺構1
喜界島、手久津久の崩リ遺跡の遺構。まず、「竪穴状遺構」と呼ばれているものについて。 これは、宮古島アラフ遺跡と同じサンゴ礁トーテムの段階にあると考えられる。 この遺構の分布が示すのは、遺跡すぐ近くにある、イノーなく迫った干瀬だ。 地図は現在の干瀬であり、削られた面もあって、どの個所に対応しているのかを判断するのは難しい。が、このどこかなのだ。 その意味は、色で区分してみた。 黄:スデルわたしたち...
View Article喜界島崩リ遺跡の遺構2
崩リ遺跡には次の段階の遺構も残されている。それは、「竪穴状遺構」と同じ場所にある。 「土坑」と呼ばれる遺構は、「竪穴状遺構」の近くに、小さめに展開されている。「竪穴状遺構」が干瀬だとすれば、これは干瀬にできる水溜まりのような窪みで、ヤトゥと呼ばれている場だと思える。...
View Article古我地原貝塚の遺構
苧麻トーテム段階にある古我地原貝塚の遺構。(『古我地原貝塚』) 目は粗いが、4つの場を想定しておく。 黄:スデルわたしたち 緑:この世にいるわたしたち 赤:あの世に帰るわたしたち 青:この世に現れるわたしたち メタモルフォーゼの場は、西端にある第7号遺構だと考えられる。 そして、この遺構の形態は、この貝塚でほとんどを占めるキバウミニナの口と触覚ではないだろうか。 cf.「キバウミニナの口」(MAD...
View Articleアンチの上貝塚の位相 11
アンチの上貝塚について、修正を加えて再整理する。複雑なことに変わりないが、構造化と人数の推定を試みる。 各場の内容と推定人数をあげる。 この貝塚かわ分かる足跡は、2178人いて、765人があの世へ還り、816人がこの世に現れている。しかしこれは大きすぎる数だ。「あの世へ還る」場は四つ設けられている。これは、相互に婚姻をする四つの「をなり集団」だと考えられる。...
View Articleアンチの上貝塚の位相 12
アンチの上貝塚Ⅱ期調査の小貝塚には、面白い特徴が見られる。 ここでは、ヤドカリの腹部は、チョウセンサザエ等のサザエ科か、サラサバテイラ等のニシキウズ科が化身態と考えられている。...
View Articleアンチの上貝塚の位相 13
アンチの上貝塚のゴホウラ・イモガイ集積を見る。スデル場の「宿貝」に相当する。 9つの貝のうち、2~7は女性。8,9は男性。2~4,6のゴホウラは、「頂部破損」が共通しているので、年齢階梯として同位相にある。5は、「外唇部破損」とあるが頂部も破損している。「外唇部破損」は「体層部有孔」と同位相で、しかし出自のちがいを示すものかもしれない。...
View Articleアンチの上貝塚の位相 14
アンチの上の集団のあり方について、シンプルな可能性をシミュレーションしてみる。 この集団を貝に象徴させると、チョウセンサザエをなりグループとサラサバテイラをなりグループに分かれる。それぞれは二つの集団にさらに分かれている。 チョウセンサザエ5集団は、サラサバテイラ4集団と婚姻関係にあり、チョウセンサザエ6集団は、サラサバテイラ7集団と婚姻関係にある。...
View Articleアンチの上貝塚の位相 15
カリエラ四分制のようなケースを考えても、同様の貝塚構成にはなりえる。 しかし、心理的にはあまりピンと来ないと言うべきだろうか。 アンチの上貝塚人たちは、兄弟姉妹関係を軸としながら、あの世へ還る際には、別のをなりグループの異性と共にいることを選んでいる。それは兄弟姉妹に対して夫婦という関係の強まりを反映したものかもしれない。
View Article長浜金久第二遺跡の遺構
長浜金久第二遺跡の遺構から、コモンヤドカリを浮かび上がらせてみる。 遺構はそれぞれヤドカリの部位に対応している。 土坑B:尾脚 住居跡:左鋏 土坑A:右鋏 炉跡:宿貝 ヤドカリの頭部は、この画面で上部を向いているから、尾を曲がらせていることになる。 宿貝は、「炉跡」として判断されている。コモンヤドカリ段階では、ここが太陽を生むのだ。
View Article安良川(アラゴー)遺跡の遺構
奄美大島笠利半島の安良川遺跡は、ムラサキオカヤドカリ段階にある。(『安良川遺跡』) この遺構のスデル場であるムラサキオカヤドカリ・トーテムを描いてみる。 土器や貝の分布が示すように、上図①~③は、空白になっているから、スデル場の一部であると考えられる。 右上端の「ウニ土坑」は宿貝を示している。おそらく③を含めてだ。 そこでは、32人の女性と2人の男性が貝とおびただしいウニの棘で表現されている。...
View Article下田原貝塚の位相
下田原貝塚は全面の発掘ではないので、情報は限られる。(『下田原貝塚・大泊浜貝塚』) 垣間見えるところから、思考を推理してみる。 第1地区に伸びる溝(計測された範囲で36m)は、キシノウエトカゲ・トーテムの胴部だ。その先にある貝塚は、頭部ではないだろうか。 その下方、第2地区の炉跡は卵である。 こうしてみたとき、下田原貝塚でも人数をシミュレーションすることができる。...
View Article安良川(アラゴー)遺跡の遺構 2
安良川(アラゴー)遺跡の「ウニ集中部」は、宿貝のスデル場だ。そこには、女性9人、男性2人の貝が置かれている。たった97個の貝でも雄弁だ。 集団は、コシダカサザエをなりグループとシロインコをなりグループに分かれる。構造はおそらくアンチの上貝塚と同じだ。 一体のシラナミは宿貝だ。一体のオニヒザラと多数のウニの棘も同じ意味を持つとみなしておく。...
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